鎮魂歌 -Requiem-

ふと、コウが足を止めた。
ホールを見下ろすことの出来る廊下で、彼女は立ち止まった。
ゆっくりと手すりに手をかけた彼女の様子を、後ろから見つめるリーバー。
その目が哀しみを帯びていることに気付く。

「また、か?」

控えめに問いかけられた彼の声に、コウはこくん、と頷いた。
そして、ホールへと続く階段を下りていく。

「辛いか?」
「…辛くないと言ったら嘘になるけれど…」

そこまで言って、コウは一旦言葉を止める。
そうしている間にホールの床へと下りた彼女は、真っ直ぐに悲しみの声が聞こえる方へと近付いた。
彼女の存在に気付いたコムイが道を譲る。
すれ違う瞬間に、頼むよ、と告げる。
彼の願いを聞き入れた彼女は、小さく微笑んだ。
そして、物言わぬ棺の前へと足を進める。
その前では仲間と思しきファインダーが、ぼろぼろと涙を零していた。
彼らを見下ろし、コウはすぅ、と息を吸い込む。

「いつまでここに居るつもり?」

まるで、それを責めるような冷たい声だった。
泣いていた彼らが一斉に顔を上げ、彼女を睨みつける。
しかし、彼女は彼らとは違う一点を見つめ、言葉を続けた。

「ここに居てはいけない。死者と生者の時間が交わることはないの。あなたの帰る場所はここじゃないわ」
「何なんだよ、お前!!」

わけのわからないことを言う彼女に、苛立ちを隠さない声が容赦なく発せられる。
それを止めようとしたコムイだが、スッと持ち上げられたコウの手がそれを拒んでいた。
構わない、と告げる彼女の目に、彼は拳を握って足を床に縫い付ける。

「私には…無理なの。私に出来る事は、使役することだけ。あなたを、迎えることは出来ない」
「テメェ…わけのわからないことを!」
「ま、待て…!こいつ…『死神』だ!!死神のコウ!!」

コウに掴みかかろうとした男を、もう一人が止めた。
震えるように彼女を指差した男の顔面は蒼白。

「畜生!!お前みたいな奴がいる所為で、こいつは…っ!!」

どうやら、『死神』の異名を持つコウを知っている人間らしい。
仲間が死んだことに関わっていない事は明白だと言うのに、彼女を非難することでしか自分を保つことが出来ない。
そんな、醜い人間の性を前にしても、コウは冷静な姿勢を崩さなかった。
ただ一点のみを見つめる彼女の目に映るものは、他の人間には見えていない。

「行きなさい」

コウの強い声が終わると同時に、一番近かったパァンッと電灯が弾けた。
それに告ぐように、壁に大きな亀裂が入る。
どれも、人の持つ力ではありえない現象だった。
コウを非難していた男たちが、得体の知れない状況に身体を震わせ、一人、また一人とその場から逃げ出す。
仲間の棺をその場に残していく彼らに、結局人間は自分が一番可愛いのだと思い知らされる。
死神、と捨て台詞を残していく彼らを一瞥することなく、コウはその場に立っていた。
すでにそこに残っているのは事情を知る人間だけだ。
周囲に不可思議な現象を生み出していた謎のそれは、とうとう彼女自身にも牙を剥く。
ザンッと髪の一筋が切れ、頬に一筋の裂傷が生まれる。

「コウ…!」

案じるように呼ぶリーバーの声を背中で聞きながら、コウは目を伏せた。
そして、バッと目を開いた彼女はそこに向かって鋭い言霊を吐く。

「…魂の在るべき場所に還れ!!」

言葉を紡ぐ間、彼女の頬に刻まれたタトゥーが紅く輝く。
何かが弾けるような音がして、そしてその場には静寂が戻ってきた。

「帰った…のか?」
「ええ…強制的に。本当ならば自ら望んでくれるのが一番だったけれど…」

周囲を傷つけようとする以上、自ら望むことを待っている余裕はない。
自分が存在すべきではない場所に居続ける事は、どちらにとっても良い影響を与えない。

「いつも…すまないね、コウ」

控えめに近付いてきたコムイがそう言った。
彼女は、首を振る。

「これが…ネクロマンサーの名を次いだ、私の役目ですから」

哀しげに微笑むコウに、リーバーは舌を打つ。

「あいつら、死神なんて…」
「死のある所に在る人間だから…そう、間違っては居ないわ」
「全然違うだろ!?コウが死を引き寄せてるわけじゃない!」

そんな風に彼女が忌み嫌われ、非難される理由などどこにもないのだ。
負の感情をぶつける彼らが、どれだけ彼女に助けられているのか。
アクマの中に囚われる魂すら一時的に使役する事が出来る彼女は、エクソシストではなくても重要な人間だ。
守られている彼らが、何を馬鹿なことを―――リーバーは奥歯を噛み締めた。

「私の代わりにあなたがそう言ってくれる。それで十分なのよ」

そう言って嬉しそうに笑う彼女に、彼らは何も言えなくなった。
さて、と話題を変える彼女。

「そろそろ出発するわ」
「…そうだったね」
「あら、コムイさん。自分で任務の命令を出したと言うのに、忘れていたんですか?」

先ほどの空気を感じさせないようにクスリと笑ってから、彼女は腕に引っ掛けたままだったコートに腕を通す。
黒を基調としたコートの胸元には、真紅の模様が入っている。
それは、彼女の頬に刻まれたタトゥーと同じ模様だ。
科学班が作ってくれている、エクソシストの団服と同じ素材で出来たコートが、彼女の仕事着なのだ。

「じゃあ、行って来るね、リーバー」
「あぁ。気をつけていけよ」
「大丈夫。アクマには殺されないから」

そこだけは、自信を持って言える。
自我を生み出したアクマがコウを殺そうとしても、大本を司る魂が彼女に従う。
故に、彼女には危害を加えられない。
他の仲間が千年伯爵により殺された理由は、そこにあった。

「アクマだけじゃないだろ?」
「うん。わかってる。ちゃんと…ここに、帰ってくるわ」

安心して、と告げた彼女は彼の前に移動し、僅かに背伸びをした。
ほんの一瞬だけ、頬に唇を寄せる。
少しばかり驚いたように目を見開いた彼は、苦笑に似た笑みを浮かべてから彼女の頬のタトゥーを撫でた。
くすぐったい感覚に片目を細め、それから彼の元を離れる。
水路へと向かう彼女の背中を追うことはなかった。

「相変わらず、お熱いね、君たちは」
「そうっすか?」
「―――…伝えないのかい?」

核心を突くコムイの言葉に、リーバーは苦笑する。

「…肩書きで雁字搦めのアイツに、これ以上余計な肩書きなんて背負わせられないんですよ」

静かにそう言ってから、彼は踵を返した。
コウとは逆方向に去っていく背中を見つめ、コムイが溜め息を吐き出す。

「その『余計な肩書き』が彼女を救う事だってあるんだよ、リーバーくん」

小さな声は、届くべき人には届かない。

08.12.23