鎮魂歌 -Requiem-
私達が何をしたと言うのだろうか。
ただ、長い時間をかけて自分達が守り、引き継いできたものを、大切にしていただけ。
それなのに、それなのに。
どうして、奪われなければならなかったのだろう。
私達は、変化も世界の平穏も求めてはいなかった。
唯一つ、自分達の生活さえ守る事が出来たならば―――それ以上何も望まなかったと言うのに。
突然、冷たい悪魔が空を埋め尽くした。
支配が及ばないほどの大量のそれに襲われた私達は、成す術もなく次々と倒れていく。
地面へと伏す前に、弾けるような音と共に衣服を残して消えていく人々。
夢ならば、覚めてくれと…無意味だと悟りながら、そう願う。
戦った同僚たちも一人、また一人と消えた。
手が裂け、足が火傷を負い…逃げられなくなった所に、冷たい銃口が向けられた。
ここまでか、と悟り、目を伏せる。
頬伝う涙は、驚くほどに冷たかった。
身体を伝う冷たい感覚に目を覚まし、はぁ、と息の塊を吐きだした。
不定期に繰り返される、目を覆いたくなるような悪夢。
それは、決して夢だけのものではなく―――少し昔…コウが体験した、現実。
ソファーの上で身体を起こした彼女は、手でそっと目を覆う。
指先にひんやりとした水気が触れた。
転寝の間にすら、自分を蝕んでくる過去。
忘れるな、抗うなとばかりに、間をおいて夢として甦ってくる。
「―――」
声の代わりに涙が零れ落ちた。
肩を震わせることもなく、ただ涙だけを頬に流す彼女。
それは、感情すら消えてしまったのでは、と思えるほどに氷のような表情だった。
そんな彼女の耳に、足音が近付いてくる。
こつ、こつ。
焦ることなくゆっくりと進んできたそれは、やがてコウの真後ろでとまった。
ふわりと、頭の上に大きな手が乗せられる。
「―――またか?」
低い声がそう問いかけ、こくりと一度だけ肯定するように首を動かす。
ソファーに座る彼女を、背後から覗き込むようにして目を合わせる彼。
逆さまに見えたリーバーに、コウはそっと目を伏せた。
それを合図にしたかのように、彼の手が優しく涙を拭い取る。
「相変わらず寂しい泣き方をするな」
声を上げて泣いてしまえば楽になるのではと思う。
そう思ってしまうほどに、彼女は静かに、ただただ涙だけを流す。
「この泣き方しか知らないのよ」
声を上げて泣くことなど、忘れてしまった。
哀しげに微笑む彼女に、リーバーは心中で溜め息を吐き出す。
そして、彼女から手を離し、その正面へと回り込んだ。
目の前にかがんだ彼を見て、彼の目元に隈が出来ていることに気付くコウ。
彼の方は、相変わらず仕事で無理をしているようだ。
「また寝ていないの?」
「そのまま返すぞ、コウ。こんな所で転寝するほど疲れてるなら、部屋で休めよ」
こんな所と称されているのは科学班の部屋の隅。
ついでに言うならば、今は食事の時間で多くの者が食堂へと出払っている。
だが、基本的に一般的な時間の流れに乗っていない彼らは、食事の時間も曖昧だ。
特に仕事に打ち込みやすい者などは、この時間帯にもこの部屋の中に居て、相変わらず机に向き合っている。
「疲れているわけじゃないの。ただ…どうしてかしら。いつの間にか寝ていたみたいね」
自分の行動がわからない、とばかりに苦笑を浮かべる彼女。
そんな彼女を前に、リーバーは横に置いたバインダーを手に取ることを躊躇う。
ここに書かれているのは、任務の内容だ。
そして、これを彼女に渡すということは…彼女が、上の命により任務に就かねばならなくなるということ。
出来ることならば渡したくないと思ってしまう。
これ以上、彼女をあの哀しい兵器に向かわせたくはない。
エクソシストでもない彼女が、何故戦場に向かわねばならないのか。
「…任務、でしょう?」
彼の心中を悟ったのか、コウがそう問いかけた。
結局の所、どんなに悩んだとしても、上の命令を聞かないわけには行かない。
若いエクソシストですら、危険な場所に向かわせているのだ。
彼女一人を優遇するなど不可能なのだ。
グッと奥歯を噛み締め、置いていたそれを彼女へと差し出す。
彼女がそれを受け取るのを確認して、自分の指をそこから引き剥がすのに酷く時間がかかってしまった。
「リーバー。私のことは…気にしないでと言っても無駄だとわかっているわ。
けれど、私のために心を痛めるのはやめて欲しいの。私にとっては、それが辛いから」
バインダーを受け取った手が揺れ、手首のそれがシャラン、と音を立てた。
「嫌なら断ってもいいんだぞ?」
それが不可能だと知っていながら、自然とその事を口にしていた。
そんなリーバーに、コウは小さく微笑んでみせる。
「そう言ってくれるだけで十分だから。ありがとう」
バインダーを片手にそう言い残し、彼女はソファーから立ちあがった。
そのまま、室長室へと向かって歩き出す。
「…班長…コウ、また任務に…?」
ジョニーが控えめに声を上げる。
振り向いたリーバーは、溜め息と共に一度だけ頷いた。
「あいつはエクソシストじゃないって言うのにな…嫌な世の中だ」
特殊な力を持っているが故に、彼女は戦場へと向わなければならない。
グッと握り締めた拳が痛い。
こんな哀しい戦争など、早く終わってしまえばいいのに。
―――私はきっと、エクソシストにはならないわ。だって…自然の倫理に反した、神とは正反対の人間だから。
いっそエクソシストだったならば、神の使徒としての使命により戦場へと赴く理由が出来る。
そんな事を零した彼に対し、コウが言った言葉だ。
あの時の彼女の表情は、消えることなく今も記憶に焼き付いている。
そうして、いつか訪れるであろう平和な日々を夢見て、今日もまた戦いを繰り返していくのだ。
08.11.22