鎮魂歌 -Requiem-

崖っぷちに聳え立つ、悪の総本山―――ではなく、黒の教団。
寧ろ断崖絶壁に囲まれているといっても過言ではないそれ。
鬱蒼と茂る森の向こうに見えた馬鹿でかい門を前に、コウは深い溜め息を吐き出した。
先ほどから自分の周りをパタパタと飛び回るこれは一体何なのだろう。
黒い球体に目のようなものが付いていて、そこから身体も何もなく一対の翼が生えている。
じっと見つめていると、時折ピントを合わせるように目の中心部が大きさを変えた。

「…生物…じゃないわね」

蝙蝠のようにも見えるけれど、恐らく違う。
その時、パタパタと羽音だけを立てていたそれから、ジジッと言う電子的な音が聞こえた。

『あー…っと。―――』
「?」

声が聞こえた。
どうやら、通信装置らしいと判断し、それに向き直るコウ。
しかし、いくら続きを待っていても、聞こえるのはパタパタと言う羽音ただ一つだけ。
首を傾げた所で、漸く沈黙が解かれた。

『―――単刀直入に聞く。用件は何だ?』
「クロス・マリアンと言うエクソシストから、黒の教団に協力するよう要請…もとい、命じられた者です」

淀みなく答える彼女に、通信機の向こう側がざわめく。

―――クロス元帥?
―――協力ってことはエクソシストか?
―――おい、誰か聞いてないのかよ?

聞こえない部分もあるけれど、おおよその会話内容はこんな所だ。
話が通っていないらしい。
そのことを悟ったコウは、再び溜め息を吐き出した。

『すまないが、こちらで確認が取れない。
身分を証明する物と、クロス・マリアン元帥との関係がわかる物を提示してもらいたい』
「…生憎、私のような根無し草には身分を証明する物はありません。ですが…」

彼女は黒いコートのボタンを二つほど外し、懐に手を差し込んだ。
取り出した彼女の手の平にちょこんと乗ったそれは、今まさにコウが話しかけているそれとよく似ている。
色は黒ではなく、彼女の髪と同じ銀色だ。

「これを持って行くようにと、クロス氏から預かりました」
『確認するから3分…いや、1分待ってくれ』

向こうから声に、はい、と頷く。
手の平に乗ったそれを出来るだけ動かさないようにしつつ、コウはじっとしているそれを見た。
柔らかいけれど、どこか硬くて。
優しい手触りなのに、あたたかくない。
生物ではないと思う理由は色々とあるけれど、コウはそれが「何なのか」と言う答えを知らない。
蝙蝠のようなものを見つめること1分弱。
ジジ、と言う音が聞こえた。

『クロス・マリアン元帥のゴーレムと確認できた。門番の検査を受けてから通ってくれ』

ゴーレム、と言う単語を聞いて、初めて蝙蝠のようなそれがその名を持つのだと理解する。
それが何なのかはまだわからないけれど。
それよりも、コウには先ほどの言葉の中でもう一つ疑問があった。

「門番?」

どこに門番が居るというのだろうか。
確かに、これだけ立派な門を構えているのだから、門番が居てもおかしくはない。
けれど、それらしき人物は見当たらないのだ。
きょろきょろと周囲を見回したコウは、上から迫るそれに気付かなかった。
顔に影が差したところで、ハッと顔を上げる。
視界いっぱいに広がったそれに、彼女は目を見開いた。

「――――っ!!!」

幼少時代より培われた本能により、咄嗟にコートを捌く。
胸の内ポケットに並べて挿されている杭を二本指の間へと挟んで抜き取り、それを地面へと投げた。
ザッとコウの両斜め前の地面へと突き刺さるそれ。

「守護せよ!」

全ての項目をすっ飛ばして、肝心の解号だけを口にする。
二本の杭を繋ぐ様に線が走り、その線が空へと垂直に伸びて面を生み出す。
彼女に向かって迫ってきていたそれ―――門番は、その壁によって盛大に弾かれた。

「痛ェェェ!!!」
「…喋った…?」

本能のままに結界を生み出したのだが、相手の反応に我に返るコウ。
門番、と言うのは、門に付いた顔だけの人の事のようだ。
人、と呼べるのかどうかは微妙なところだけれど。

『あー、すまない。説明不足だった。そいつが門番だから、大人しく検査を受けてくれ』
「はぁ…こちらこそ、すみません?」

バチィッと派手な音を立てて弾いてしまった所為なのか、門番の額が赤くなっている。
申し訳ないな、と思いつつ、結界を解いた。
彼は今度こそ不用意に近付いたりはせず、寧ろ出来る限り離れた所からレントゲンを行う。
身体に害はないのだろうけれど、落ち着かない検査だ。

「………こいつ…人間………?」
『違うのか?』

門番が首を傾げれば、黒いゴーレム越しの声が戸惑ったようにそう問いかける。
相変わらずジッとコウを見つめている門番は、困った、と言う表情を浮かべた。

「何か…見えにくい。霞がかって、でも…AKUMAとも違うな」
「霞………あ」

コウが何かを思い出したように声を上げる。
そして、首筋に見えていた鎖を引っ張った。
するりと抜けてきた鎖の先には大きな石の付いたペンダントがぶら下がっている。
彼女は、それを首から抜き取ると、慎重な動作で足元へと置いた。

「これでどうですか?」
「………見えた!人間!」

高らかな声により、漸く害なし、との判断を貰うことができた。
足元に置いたペンダントを拾い上げ、それを首に戻しながら安堵の息を吐き出すコウ。

『開門するから、そのまま中に入ってくれ。すぐに案内を向かわせる』
「わかりました―――あ、私…コウです。コウ・スフィリア」
『コウ、な。俺はリーバー・ウェンハムだ。…中で会おう』













ガタン、と音がして、資料を整理していた手を止める。
振り向いた先では、二日ほど徹夜を強いられているリーバーが机に伏しているのが見えた。
彼の頭の下には、厚さが5センチを超えようかと言う書類の山。

「大丈夫?」
「おー…。炭酸をくれ」
「骨が溶けるわよ」

声まで危ないな、と思いながら、コウは資料を置いてコーラの入った容器に手を伸ばす。
空になった彼のカップを引っ張ってきて、そこにコーラを注いだ。
コトン、と頭の傍に置けば、ゆるゆると顔を上げる。
顎は書類の上に乗せたまま、間延びした礼を口にした。

「程々にしないと、倒れるんじゃない?」
「あとこれだけだ…」
「あぁ、そう。それがあなたの仕事だから、止めはしないけれど…」

呆れた風に溜め息をついた彼女は、彼のデスクに腰を凭れさせる。
積みあがっている書類の一つを手に取る彼女の横顔を見上げた。
視線を落としていけば、あの日のペンダントが彼女の胸元に揺れている。

「そのペンダント…何か力があるのか?」
「ん?あぁ…これは、護符を練りこんだ石で作ってあるのよ。職業柄、憑かれ易いから。
契約していない人在らざる者からは私の存在が曖昧になるの」

彼女の説明に、あぁ通りで、と納得する。
あの日、門番が見えにくいと言ったのは、その所為なのか。
疲労を訴える身体に鞭打って上半身を起し、注がれたばかりのコーラを飲み込む。
炭酸が喉を刺激し、少しだけ意識が覚醒した。

「こっちの山は私が手伝えるわ。これはあなたのサインが必要。この山はコムイ室長への提出書類」
「…お前が居てくれて、本っ当に助かる」
「あら、光栄ね。誰かさんが倒れる前に終わらせましょう?」

ふと、今に繋がる過去を思い出した時間。
現実逃避も甚だしいな、と思いつつ、放り出していたペンを手に取った。
思い出に浸るのは、この山を片付けてからにしよう。
黒いインクが力なく紙を引っかいた。

08.11.07