鎮魂歌 -Requiem-
フォークを持つ手首が、シャラン、と小奇麗な音を奏でた。
音源となった手首に巻いた装飾品を見つめながら、ふと小さな溜め息を零す。
こんな細い鋼糸の集合体が、コウと死霊を繋ぐものなのだ。
なんと危うい関係なのだろうかと思う。
けれどそれよりも…見た目には想像もできない深い繋がりを持つことの出来る己の血が恐ろしい。
千年伯爵に一族を殺され、最後に一人残されたのがコウだ。
ギリギリの所で命を繋いだ彼女が黒の教団に保護されて5年。
エクソシストでもなくファインダーでもなく。
彼女の存在は、とても曖昧で―――それで居て、一つの要となるものであった。
「コウ。この後、頼めるか?」
食堂で遅い朝食をいただいていたコウは、聞こえた声に顔を上げた。
何かの資料であろう沢山の本を抱えたリーバーがそこにいる。
「今日はどっち?」
「録音」
「コーヒーを淹れたら、すぐに行くわ」
「じゃあ、いつもの部屋で。俺の分も頼むわ」
了解、と返す代わりに手を上げる。
恐らく同じ行動を返したかったであろう彼の両手はこれでもかと重いものに塞がれている。
苦笑を浮かべる彼は、待ってる、と言い残して食堂を後にした。
廊下を歩いていく彼の背中は少しふらついている。
「また睡眠不足ね」
お疲れ様、と本人には到底聞こえない、小さな声でそう呟いた。
すでに空になっていた食器を持ち上げ、調理場の方へと歩く。
「ご馳走様」
「あら、いつも悪いわね」
「これくらいは当然よ。それより、コーヒーを淹れたいの。場所を貸してくれる?」
いつも使った食器を運んできてくれる彼女は、調理師の中でも評価が高い。
直接顔を合わせ、ご馳走様、と言われて嬉しくない調理師はいないのだ。
食後のコーヒーを自分で淹れることは、最早日常的となっている。
もちろんよ、と返したジェリーに礼を言ってから、調理場に足を踏み入れた。
エプロンを着ていない者が入ることが考慮されていて、サイフォンは入り口近くに置いてある。
マイカップと化している緋色のそれと適当なカップを準備してから、それへと手を伸ばした。
程なくして、コーヒーの良い香りが調理場に流れ込んだ頃、コウは両手にカップを抱えてそこを後にする。
足が目指す先は、リーバーが言っていた「いつもの部屋」だ。
4度のノックは自分だと言う知らせ。
返事の後、数秒後に扉が開かれる。
顔を出したリーバーは、開口一番「悪いな」と言って、ドアを押さえつつ彼女を中に促した。
先ほどのように距離が遠くない位置で見ると、彼の顔には疲労が色濃く浮かんでいる。
最近随分と忙しいという話を聞いたが…こんな表情を見ると、大丈夫なのだろうかと心配になる。
「寝ていないのね」
「いや、寝てるよ。昨日は1時間も寝た」
「それは寝ているとは言わないのよ」
24時間の内の1時間。
人間が満足に動くには、少なすぎる睡眠時間だ。
呆れたような表情を浮かべる彼女に、リーバーは部屋の鍵を閉めた。
鍵を閉めるのは、この後の時間を邪魔されない為に必要なことだ。
何かやましい事があるわけでもないので、コウもそれを拒んだりはしない。
本人たちにやましい事があろうとなかろうと、邪推する人間が居ることは否めない事実だが。
「―――よし。準備は出来たが…始めていいか?」
「どうぞ」
広いテーブルを挟むように向かい合って腰を下ろす。
彼女の前に置かれたマイクが繋がる先は、リーバーが手をかけている装置だ。
簡単に言えば、とても性能の良いレコーダー。
カウントするように3本立てられた指が、2本へと減らされた。
指がゼロを示したところで、彼の骨ばった手が、一際目立つボタンを押す。
「―――――」
歌と表現するには言葉がなく、音と表現するにはあまりに深い感情が見える。
コウの唇が紡ぎだす声は、低くも高くもなく、スッと耳に流れ込んでくるものだ。
瞼を伏せて、唇で音を奏でていく彼女の声には独特の力がある。
それは感じると言うだけの感覚的なものではなく、事実、特別な力を持ち合わせているのだ。
流麗な水のように紡ぎだされるそれを聞きながら、リーバーは静かに目を閉じた。
一区切りさせたところで、そっと目を開く。
歌の余韻に浸りつつリーバーの方を向いたコウは、声をかけようとしていた唇を結んだ。
テーブルに被さるようにして倒れこんでいる彼は小さく寝息を立てている。
少しだけその様子を見つめていたコウだが、レコーダーが動き続けていることに気づいた。
音もなく立ち上がって彼の後ろへと周り、始める時に押したボタンを押す。
カチッと言う音と共に、それは沈黙した。
背後に立っても気付かない様子で眠る彼に、彼女はその隣に腰を下ろした。
彼の目元の隈は、それはそれは深く肌に浸透しているようだ。
色が残らなければいいけれど、と思いつつ、自分の方においていたカップを引き寄せる。
歌っていたのはおよそ5分。
少しばかりの熱を残して冷めてしまったコーヒーは、独特の苦味だけが残っている。
香りが飛んでしまったそれで喉を潤して、黒い水面に映る自分を見下ろした。
目の少し下、中心を避けるようにこめかみに寄った位置にある、アシンメトリーのタトゥー。
白い肌に刻まれた紅のそれは、一族の証だ。
エクソシストでもファインダーでも科学班員でもない証。
そっと瞼を伏せ、そのタトゥーを視界から消す。
「―――――」
ゆっくりと開いた視界に入り込むリーバーの姿に、少しばかり波立った心が安らぐのを感じた。
「無理をしないで」
何だかんだと言いながらも上司や部下を大事に思う彼の無茶を止めるのは不可能だ。
幼い青年たちを戦いへと送り出さねばならない事を誰よりも歯がゆく思う、優しい人。
彼らの為に、朝も昼も夜もなく働き続ける彼の身を案じているのは、自分だけではない。
しかし、こんな人だから上司や部下からの信頼が厚いのだろう。
「あなたばかりが頑張らなくていいのよ」
起きている時には言えない言葉を口に出す。
彼の耳に入ってしまえば、きっと「俺だけが頑張っているわけじゃない」と否定されるだろう。
自分の前では頑張らないで欲しいと思うのは、わがままだろうか。
静かに、唇を開いて空気を吸い込む。
紡ぎだされた歌は先ほどと同じものではない。
慈しむ様な、それで居て優しく包み込む様な、美しくも温かい歌を奏でていく。
どうかひと時の事であったとしても、彼の心が休まりますようにと。
切なる願いを込め、優しい歌を紡ぐ。
いつの間にか握られていた手が、とても温かかった。
08.11.04