羅針盤 -Compass-
「コウさんって教団では有名なんですか?」
チャオジーにそう問われ、ラビ、神田が顔を見合わせる。
そこにアレンも加わった。
「有名…」
「…有名、だよな」
「でしょうね。師匠とは違う意味で特殊ですし」
どこか遠い目を見せている三人に、質問を投げた彼の頭に疑問符がひとつ。
「コウは色んな意味で規格外」
「…ですね。たぶん、チャオジーの予想を遥かに上回ると思いますよ」
「ってか、そう言う人だから元帥とやっていけてるんだろ?」
ラビの言葉に、アレンは一理ありますね、と頷いた。
神田はすでに興味を失っているのか、それともかかわりたくないのか。
どちらかはわからないけれど、我関せずと言った様子で向こうを向いている。
けれど、意識がこちらに向けられているような気がするのは、恐らく気のせいではない。
一体何があったんだ…と息を呑むチャオジーの視線に、アレンとラビが顔を合わせた。
「コウって能力的には元帥になれるんさ」
「…え?あの人が?」
見た目で言えば、確かに箸以上に重い物など持てない…と言った様子は受けない。
けれど、芯が強く凛としていて、女性らしさを感じさせる風貌だ。
そんな彼女が、元帥―――チャオジーは信じられないと言った様子で、クロスを思い浮かべた。
つまり、あの人と同じだと言うのか。
「蹴ってますけどね」
ずーっと、と告げるアレンに、彼はまた「え?」と声を上げる。
蹴っているという言葉の意味を理解するまでに、少し時間がかかった。
「お偉方を前に、きっぱりと断ったんですよ。今も断り続けています」
「そんなことって…」
「出来ませんよ。でも、コウはずーっと続けてますね」
そこが凄いんです。…そこだけじゃありませんけど。
まるで身内のことを話すかのように、アレンはそう言って笑った。
4年ほど前、コウはすでにクロスの弟子として少しずつ成長していた。
いや…少しずつではなかったかもしれない。
めきめきと頭角を現した彼女は、一時は教団の噂を独占した。
そんな中、彼女はとある事件をきっかけに、臨界点を突破する。
それは、新たな元帥となり得る者の誕生の瞬間でもあった。
報告のために本部へと戻った彼女は、その日のうちにコムイに呼び出された。
「大元帥が君を待っているよ」
良い事ではない。
どこか、苦虫を噛み潰したような表情のコムイに、コウはそう判断した。
嫌だな、面倒だな…そう思いつつ、コウは彼に続く。
「用件は何なんですか?」
「…君は臨界点を超えた」
大元帥たちが喜んでいるよ、とコムイが告げる。
臨界点を超える―――イノセンスとのシンクロ率が、100%を超えたと言うこと。
そして、それは元帥への切符を渡されたと言うことだ。
コウはそれを聞き、足を止める。
彼女に付き従っている蝶が、その感情の揺れを感じたようにざわりと身体を震わせ、二匹に増えた。
「避けては通れないよ」
足を止めても、逃れることは出来ないのだ。
コムイの言葉に、コウは冷めた表情のまま、再び足を動かしだした。
「お断りします」
5人の大元帥を前に、コウはきっぱりとそう言い放つ。
臨界者となった彼女は、元帥への昇格を申し渡された。
しかし、それに対し、彼女は迷うそぶりもなくそう言う。
「拒むことはならぬ」
「元帥となれば、適合者を探す旅は別として…弟子を持つことになりますね。私は、それが嫌です」
ですから、お断りします。
表情を消し、彼女は再度そう告げる。
5人の大元帥は、自分たちの言葉を拒む者が居たことにざわめく。
後ろでコムイが溜め息を吐いているのが聞こえた。
「コウ・スフィリア。我らの決定に逆らうことは許されぬことじゃ」
「許される、許されないの問題ではありません。私は…クロス元帥の弟子をやめるつもりはありませんから」
「クロス!事あるごとに我らに反発するあの大馬鹿者の影響か!
やはりおぬしを奴の弟子にしたのは間違いだった!」
よほどお気に召さないらしく、そう声を荒らげるひとりの大元帥。
コウはその言葉に冷めた目を向ける。
「私一人が元帥を拒んでも、大した影響はないでしょう。今まで通り、適合者を探す旅を続けます」
「ならぬ!お前はクロスの元を離れ、元帥として独立して教団の命令に従うのだ」
「わからない人たちですね…私は、それが嫌だと言っているんですよ」
ざわり、と音を立てそうな勢いで、蝶が嵩を増やす。
瞬く間に増えていくそれは、やがて彼女の手元へと集った。
程なくしてそこに短い銀色の短剣が構成される。
コウはその重みを手の平に感じつつ、その刃先を自分の喉へと押し当てた。
「コウ!?」
「コムイさんは黙っていて」
ぷつりと尖った剣先が肌を傷つけ、一筋の血が流れる。
彼女はにこりと場違いな笑みを浮かべた。
「私の命が消えるのと同時に、イノセンスも消滅します。これがハートではないことを祈っていてください」
さぁ、どうしますか?
その言葉は声として発せられることはなかった。
けれど、彼女の目がそう語っている。
彼女は、元々譲歩するつもりなどなかったのだ。
大元帥たちには、彼女のイノセンスがハートではないという確信を持てない。
この短期間の目を見張る成長を思えば、寧ろ他のエクソシストよりも可能性が高い。
危険性を考えれば、彼らがそれ以上無理強いをすることは不可能だった。
「何やってる、馬鹿弟子」
後ろから伸びてきた腕が短剣を攫って行く。
別の者の手へとわたったそれは、一瞬のうちに弾け、無数の蝶へと戻った。
ひらり、ひらりと優雅に舞いながら、一匹、また一匹と消え、最後のひとつがコウの元に残る。
「クロス・マリアン!」
「用は済んだだろ。帰るぞ」
後ろからひょいと腰を抱き上げられ、そのまま肩に担がれる。
そのまま踵を返したお蔭で、彼女からは腰を上げる大元帥が見えた。
「勝手は許さぬぞ、クロス!」
「このじゃじゃ馬を飼いならすコツを覚えてから出直しな」
そう言って吐き出したタバコの煙だけを残し、クロスはその場を後にする。
「今なお語り継がれる武勇伝さ」
「で、結局何度も命令されてるのに…全部蹴ってるんですよね、コウは」
呆れると言うか、何と言うか。
師匠のどこがそんなにいいんだか…と呟きつつ、アレンは苦笑した。
元帥にならなかったおかげで、彼女はアレンの兄弟子だ。
その繋がりが嬉しいアレンにとって、この武勇伝は一種の誇りだった。
「…想像できない話っすね」
「見た目からは無理ですよね。でも、コウはそう言う人ですよ。自分が納得できたことしか、動かない」
そんな人なんです、とアレンは笑った。
08.05.29