羅針盤 -Compass-
深い緑色の髪を高い位置で結い上げ、背中に癖のないストレートの尾が流れている。
それを自然に揺らしつつ、近づいてくる女性に、その場に居た全員の視線が集まった。
長い足を存分に生かして大股で颯爽と歩く姿は、さながらモデルのようだ。
カツン、コツンとブーツが靴音を立てるのにあわせるように、彼女の周囲を二匹の蝶が舞う。
決して彼女から離れることもなく優雅に飛ぶ蝶。
その二匹を脇に従え、彼女は前へと進み出た。
にっこりと微笑む表情は、端正な顔立ちならではの破壊力を持っている。
少なくとも、その場に居た者の半数が頬を染めた。
「おかえり、アレン」
「わ…コウ!」
背後から声をかけられたからだろう。
アレンは驚いたように振り向き、次いで嬉しそうな表情へとそれを切り替える。
「怪我はあるみたいだけど…無事ね。良かったわ」
「た、ただいま…っ」
「ええ、おかえりなさい」
にこりと微笑み、彼の頬を撫でた。
擦り傷や小さな裂傷の見える頬に手を沿え、今一度優しくそう告げる。
そして、彼の額に軽くキスをした―――と同時に、外野が騒がしくなる。
病室の外には、彼女を一目見ようと少数ではない人が集まっていた。
中へと雪崩れ込んで来ないのは、ここが先の一戦で活躍し、傷を負った者達の病室だからだ。
「コウ~。俺たちも居るさ」
「あぁ、そうだったわね。ラビもユウもマリ…それから、あなたたちも。―――おかえり」
自分のベッドからひらひらと手を振ったラビに、女性…コウが微笑んだ。
面識のないチャオジーと、その友人たちが顔を真っ赤に染め上げる。
彼女はそれに対してもう一度にこりと笑い、アレンに向き直った。
「怪我は酷いの?」
「いえ、そんなに酷くは…」
「そう。でも無理は駄目よ」
「えっと、あの………………はい」
ね?と念を押すように首を傾げつつそう言われてしまえば、頷かずには居られない。
いつになく従順な様子のアレンに、チャオジーは心中で疑問符ばかりを書き連ねた。
やがて、リナリーたちのところにいくといってアレンに別れを告げ、病室を出て行く彼女。
ぞろぞろと後ろを追いかけていた数人が彼女に続き、病室が静かになる。
「だ、誰ですか、あの人…」
ラビを捕まえ、声を潜めてそれを問う。
あー、と間延びした声を上げた彼は、どう答えるかを考えているようだ。
「あの人はアレンの兄弟子さ」
「と言うことは…」
「クロス・マリアン元帥の弟子」
ラビの答えに、あの人の…と言う考えが過ぎる。
何と言うか、とても意外な組み合わせだ。
「コウには手を出さない方が…いや、命が大事なら出しちゃ駄目ですよ」
会話に割って入ってきたのは、この中では彼女に一番近い位置に居るアレンだ。
彼はびしっと指を立て、続ける。
「コウは師匠のお気に入り…って言うより、師匠のものですから」
「…まぁ、教団内じゃ有名な話だな」
「そう…なんですか?あんな綺麗な人が?」
「綺麗だからお気に入りになるんだって。ま、聞くだけは聞いとけよ。今後のためになるから」
そう言って、ラビがチャオジーの肩を叩く。
いつの間にか、彼らは自分のベッドを降りてチャオジーのベッドへと集まってきていた。
おかえりなさい、と告げると、リナリーの目に涙が溢れた。
「あらあら。どうしたの、そんなに泣いて」
可愛い顔が台無しよ、と苦笑いを浮かべ、リナリーを撫でる。
彼女のベッドに浅く腰掛け、すっかり髪の短くなってしまった頭を抱き寄せた。
「だって…コウさんの“お帰りなさい”を聞くと、実感しちゃって…」
しっかりと彼女にしがみ付くリナリー。
その光景は、まるで姉妹のようだった。
「ミランダも、おかえり。慣れない身体でよく頑張ったわね」
「そんな、私は…」
「ほら、何度も言ったでしょう?こう言う時は、素直にただいまって言えばいいの」
窘めるような言葉だが、その声はいたって優しい。
ミランダは横になったまま口元をシーツで隠し、ボソボソと何かを言った。
「た…ただいま」
「はい、おかえりなさい。ほら、リナリーは?」
「ただいま、コウさん…!」
ぎゅっと手に力をこめる彼女に、コウはポンポンとその背中を撫でる。
落ち着くまでは好きにさせてあげよう。
そんな彼女の心中が見えるようだった。
「顔にも怪我をしてしまったのね。綺麗に治ると良いけれど…」
そう言いながら、短くなったリナリーの髪を梳く。
「…随分短くなってしまったけど、散ったのがリナリー自身じゃなくて良かった」
コウはそう言ってリナリーの頬にキスを送る。
ちゅ、と言う軽いリップ音をさせてから顔を離し、目を合わせて微笑んだ。
「さ、リナリーも横になった方が良いわ。まだ顔色が少し悪いようだから」
そうして彼女を宥め、ベッドに横たわらせる。
リナリーは胸の辺りまでシーツをかけた状態で、ベッドに座るコウを見上げた。
「あの…コウさん。元帥の事なんだけど…」
「ん?」
「中国で、その…」
語尾を濁す彼女。
首を傾げていたコウは、その様子に「あぁ」と頷いた。
「向こうで元帥の愛人にでも会った?」
事も無げにあっさりとそれを口に出すコウに、リナリーの方が言葉を失ってしまう。
自分のことではないのに視線を逃がす彼女に、コウは苦笑した。
「別に構わないのよ。それくらい知っていることだし、言ったって変わらない人だから」
「でも、コウさん…」
「それがあの人なのよ」
ポン、とリナリーの肩を叩き、コウはベッドから降りる。
そして、「ゆっくり休むように」と言い残し、病室を後にした。
「コウ自身は、自分で言っていたようにあまり気にしていないんじゃないかしら」
「ミランダ…。でも、やっぱり嫌なんじゃないかな…」
「本人がそう思っていない以上、リナリーが思いつめる必要はないと思うの」
コウが悲しむわ、と告げるミランダに、そうかもしれないと思った。
いつだって自分たちを包み込んでくれるような優しい彼女は、まるで姉のようだ。
「元帥も元帥よ!コウさんみたいに素敵な人がいるのに、何で愛人なんて作るのかな…」
先ほどの落ち込んだ様子を消し、口を尖らせるリナリーに、ミランダは微笑んだ。
きっと、落ち込んでいるよりはいいだろう。
小さく文句を繋いでいく彼女を見ながら、ミランダはそんなことを考えていた。
08.05.08