東国の使徒  03:集い来る足跡

宛がわれた自室に足を踏み入れ、任務で疲れた身体をベッドに横たえる。
シャワーを使った所為か、身体には疲労だけが残っていた。

「この所アクマの動きが活発ですね…ヴォルティック」

寄り添うようにシーツの上にちょこんと降りたヴォルティックを指先で撫でる。
ハードな日常ですね…などと呟きながらも、それに慣れつつある自分が居る事も事実。
この世界で生きていくつもりなのだから、慣れるに越した事はないのだろうが。

「一寝入りします。部屋から出たかったらいつも通り紐を引いたら出られますよ」

そう言い残してコウは瞼を下ろす。
黒曜石をはめ込んだような美しい双眸は瞼の裏に隠された。
左右の髪に結わえられている鈴も、今はシーツの上で沈黙を保っている。
それと同じように、まるで貝の如く口を閉ざしていたヴォルティックは、数分後静かに動き出す。
パタパタと翼を羽ばたかせ、ドアの中ほどに付けられた紐を咥えてクイッと引っ張った。
それによって、ドアに付けられたこれまた小さなドアはぽっかりと口を開く。
紐を放してもすぐには閉じず、ゆっくりと閉じるような仕組みにされている。
開かれた隙間から、彼は廊下へと身を躍らせた。






「ん?コウのゴーレムじゃん」

廊下を歩いていたラビは、前を行く(飛ぶ)闇色のゴーレムを発見する。
見覚えのあるそれは、自身のパートナーであるコウのものだとすぐに気がついた。
丁度いい、とばかりに彼は足を速めてヴォルティックを追う。

「ヴォル…だっけか?ちょっと止まってくれよ」

ひょいとその身体を掴み、進行を妨げる。
彼の存在に気付いたヴォルティックは、動きを制されたことに対して不満げに翼を揺らした。

「お前の主人に用があるんさ。呼んでくんね?」

到底頼んでいるとは思えない態度で、彼は返事を聞くつもりなどないとばかりにコウの部屋へと歩き出す。
こうして、ヴォルティックは先程飛び出してきたばかりの部屋へと逆戻りする事になった。









裏からも表からも入れるようになっているドアを、ヴォルティックは出てきた時同様に取りぬけた。
自分の部屋とは違い、ゴーレム専用入り口があることに対してラビが口笛を鳴らす。
さて、自分はどうしようかと腕を組む。
ノックをすれば問題はないのだが、たった今彼が部屋の中に入っていった。
では、それに続けばいいのではないかという考えが脳裏に浮かぶが、流石に女性の部屋に入るのは宜しくない。
となれば待つだけか…と言うところに考えが行き着いたところで、じっと見つめていたドアノブが回った。

「…っと。ラビ?どうし………あぁ、ヴォルが呼んでいるって言うのはラビの事ですか」

いつもは低い位置で結い上げている髪を解き、黒髪は彼女の背中や肩へと流れている。
それだけで人間の雰囲気と言うのは変わるもので、ラビは一瞬言葉を失った。
そんな彼を見上げ、コウは首を傾げる。

「どうかしましたか…?」
「あ!いや…それより、今からダイジョブか?コムイが呼んでんだけど…」
「ええ。大丈夫ですよ。何より、コムイさんに呼ばれてるなら行かないわけにもいきませんし」

そう笑うと、自身の背中側を飛んでいたヴォルティックを肩に招いてやる。
ちょこんと彼が羽を休めるのを見届け、コウはラビに続いた。

「何か、髪下ろしてると結構印象変わるんだな」
「そうですか?自分ではあまりわかりませんけど…ラビが言うなら、そうなんでしょうね」

慣れないなら束ねましょうか?と言う問いかけにラビは首を振る。
確かに慣れていないのでどこか直視を避けてしまいがちだが、決して似合わないわけではない。
現に、すれ違う教団メンバーの視線を一身に集めている。
気付いていないのか、それとも気付いていながら無視しているのかは定かではない。















コウは駅までの道を駆けていた。
馬車を使った方が早いと理解しながらも、それを準備するまでの間が待てなかったのだ。
走る動作にあわせて揺れる髪を鬱陶しそうに背中へと払い、一つに括りあげる。

「コウ!一人で行ったら危ねぇって!」

後ろから聞こえるラビの声にも、彼女は足を止めようとはしなかった。








「君のお父さんの話だけど…今日の昼、汽車から馬車に乗り換えたみたいだよ」
「あ、無事に着いたんですね。汽車が苦手な人なので不安だったんですけど…」

パッと表情を明るくして、コウはそう言った。
隣で話を聞いていたラビも、彼女の父親と言う単語に反応する。

「コウの親父さんもエクソシスト?」
「いいえ。私の父はサポーターです。今までは日本に居たんですけど、今度こっちに来る事になって」

やはり肉親が近くに来てくれるというのは嬉しいのだろう。
彼女は柔らかく微笑んでそう答えた。
そんな彼らの会話を聞きながら、コムイは俯いて眼鏡をくいと持ち上げる。

「本題に入るけれど………ここからは、未確認情報だ」







自身に何かが触れるのに気付きハッと我に返る。

「危ねぇから、暴れんなよ」

耳元で聞こえたラビの声に思わず肩を強張らせた。
自身が抱き寄せられる形で何かに座らされている事を理解し、現状を把握すべく顔を持ち上げる。
眼下に広がる森の一本道はかなり下にあって、自身が空に近いのだと否応なしに気付かされた。

「…走るより、この方が早いだろ?」

そう言って、彼は背中を支えていた手でぽんぽんと撫でる。
落ち着け、と言われているような気がして、コウはそっと息を吐き出した。

『本部までの道でアクマが三体発見された。………馬車が襲われたらしい』

脳内に蘇ったコムイの言葉に、彼女はきゅっと眉を寄せて目を閉じた。
どうか、最悪の事態だけは―――
















雨降る中、コウの鈴の音だけがその場に澄んだ音を奏でた。

「…コウさん、で宜しいですか?」
「はい」
「ご確認お願いします」

何を、と言う単語はない。
だがコウはファインダーの言葉にコクリと頷いた。
この場に屯していたアクマは、彼女が到着後3分で破壊されている。
すでに瓦礫の方もファインダーの活躍によって脇へと押しのけられていた。

「駅で乗り合わせたのは、日本人の男性です」
「………父に、間違いはないと思います」

渡されたコートは父が愛用していたもので、どこかに出掛けると言う時にはいつもそれに袖を通していた。
アクマのウイルスに侵された身体はすでに跡形もなく、残されたのは僅かな着衣のみ。
それをぎゅっと抱きしめ、コウは促されるままに横倒れになった馬車から離れた。
慣れたコロンの香りが鼻先を掠め、思わず涙が零れてしまいそうになる。

「………コウ…」

俯き口を閉ざす彼女を、ラビは何とも言えない表情で見つめていた。
下手な慰めなど、何の役にも立たないだろう。
言葉と言う言葉が浮かんでは消えていって、結局零れ落ちたのは彼女の名前だけ。
その声にピクリと肩を揺らしたコウは、ゆっくりと顔を持ち上げた。

「帰りましょうか。もう、私達の役目は終わりのようですし」

前髪の奥に隠れていたのは涙に濡れた頬ではなかった。
哀しげに、それでも笑みを浮かべる様はどうしようもなく苦しい。
泣き叫ばない事が、逆に彼女の心の叫びを訴えているようだった。

「殺しても死にそうにないような人なんです」
「…人間なんて、弱いもんさ」
「何だか…信じられない…」
「…我慢すんのはよくねぇよ」
「……でも、これが私の行く道ですから」

泣いていても前には進めない。
自分で踏み出さなければ、状況は変わってはくれない。
コウはそれを理解し、理性で以って溢れ出しそうな感情を抑えこんでいた。

「泣いても、ちゃんと前に進めば問題ねぇだろ」

酷く近いところで聞こえた声と、力強く自身の頭を引き寄せる腕。
気がついた時には額を彼のローズクロスに埋める形になっていた。
見ないから、と言う彼の意思の表れだろうか。

「―――…ごめんなさい…。少しの間だけ…」

彼女を独りにしないとばかりに、闇色のゴーレムがその頬に擦り寄った。

06.07.09