東国の使徒  02:始まりの音

カンカンカンカン…。
ブーツで鉄製の床を走る音が遠ざかり、そして聞こえなくなった。
次いで耳に届いてきたのは大きくはない爆音。
今しがた別行動に出た彼女がアクマを破壊したのだろう。

「さて、と。俺もちゃんと動かねぇとな」

持ち運びが楽なようにと小さくしてあった槌をホルダーから拾い上げる。
そうすれば見る見るうちにそれは大きく、そして長くその身を変化させた。
壁に凭れるようにして預けていた背中をそれから離し、ラビは前を見据える。

「さっさと出て来いよ。さっきから見張ってんのはわかってるって」

ニッと口角を持ち上げた彼の眼に、ボール型から進化したアクマの姿が映る。
肩に担いでいた槌を持ち上げ、彼は地面を蹴った。


















「あー…もう。キリがありませんね」

足音が響く。
ヒールが少しばかり高いが、恐らくそれの所為ではないだろう。
珍しくも鉄を使った渡り廊下は酷くその足音を響かせていた。
走る背中で追ってくる数体の気配を感じつつ、コウは口を開く。

「ヴォル。前の通路を見てきてください」

彼女がそう言えば、その襟元に身を隠していた闇色のゴーレムがピョコリと顔を出す。
彼は心得たとばかりにそこから飛び立ち、彼女の前を進んで通路の右へと消える。
だが、数秒もしないうちに今度はこっちに向かって帰ってきた。
しきりにフルフルと首を揺らす。

「ありがとうございます」

コウはニコリと微笑むと、ゴーレムをその手で包み込んで襟元へと仕舞いこむ。
そして、右の風迅をバッと開きながら走る。
先程ヴォルティックに調べてきてもらった通路に入り込むと、彼女はクルリと180度その身を回転させた。
そして、風迅を天井へと振るう。
幾重もの風が天井のコンクリートに亀裂を刻み込んでいく。
追ってきたアクマがその顔を角から覗かせた頃。

「ご苦労様」

彼女の姿は瓦礫の向こうへと消え去った。
















ズンッと腹に響く音。
ラビは一旦攻撃の手を止めてそちらに視線を向けた。
方向的に、彼女が向かっていった位置だ。
一瞬、今回初めて任務を共に組んだ彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

「…無事…だよな?」

誰に確認するでもなく、ラビはそう呟くと同時に地面を蹴る。
そして勢いよく振りかぶった槌を、もぐら叩きのようにボール型アクマの脳天へと振り下ろした。
鈍い破壊音に続き、アクマ自体が爆発する。
ラビはその爆風に巻き込まれないように距離を取ると、今まで自分が片付けてきた残骸に目をやった。
レベル2のアクマは一体だけで、他は全てボール型アクマ。
質より量な組み合わせに、ラビは息を吐き出した。

「エクソシストを分割させようって魂胆…か?」

導き出された答え。
ラビは少しだけ悩むように顎に手をやった後、ハッと顔を上げた。
もしそれが確かだとすれば…自分達の現状は酷く悪い物だと悟る。
彼の不安を後押しするかのように、新たな音が届いた。
それ以上考える間もなくラビは闇夜を駆けて行く。








ヒュンッと風迅が空を切る。
描いた弧の上にいたアクマが一刀両断され、爆発をまとって破壊された。
戻ってきた扇子を器用にも指2本で受け止め、コウは真っ直ぐに前を見つめる。

「数だけは…揃えてあるみたいですね」

仲間意識などあるはずもなく、数体のアクマは怯むでもなく彼女との距離をつめる。
ジリジリと追い詰めるようにして少しずつアクマは動いていた。

「…仕方ない。あまり使いたくはなかったけれど…そう言っても居られませんね」

誰に言うでもなくそう言って、コウは溜め息を一つだけ零す。
そうして右手に風迅を開くと、今度は左腕を下に下げる。
右の袖口同様に、そこからもう一つの扇子が彼女の手に滑り落ちた。
もちろんそれを取り損ねる事なく、コウは瞬く間にそれを手にとって臨戦態勢を取る。
バサッと開いた扇子には、紅色の地に緋色の桜が描かれていた。
本来、2本1対の扇子が彼女のイノセンスだ。
龍の絵柄の物を「風迅」、桜の絵柄の物を「桜花」と呼ぶ。
それらはそれぞれに独自の能力を備えていた。















「コウ!無事か?」

桜花を構えた所で、背後からラビの声が降って来る。
コウはキョロキョロとあたりを見回し、そして自身の後ろの建物に彼の姿を認めた。

「ええ、問題ありません」
「いやいや!アクマ7体前にして言う言葉じゃねぇよ!?」
「あぁ、ついでですから…ラビさん。その場から動かないでくださいね」

コウは微笑んでそう言った。
そうしている間にも迫ってきていたアクマの一体にカマイタチを向かわせる。
ラビが首を傾げるのを見て、彼女は言葉を重ねた。

「巻き込んでも責任は取れませんので」

そう言うと、コウはその桜花に軽くキスを落とし、それをふわりと下から上へと動かす。
生み出されたのは風ではなく、無数の桜吹雪。

「攻撃力が強すぎる事が難点ですね」

そう紡ぐと同時に右手の風迅を勢いよく振るう。
その風に乗った桜吹雪は真っ直ぐにアクマの一体へと向かっていった。
全てが一体に向かうかと思われたが、それらは途中で枝分かれするように6本へとその姿を増やす。

「陣風乱舞」

緋色の唇でそう紡ぐと時をほぼ同じくして、残っていたアクマ全てが爆風を纏う。
建物から下りようと足をフレームにかけたまま、ラビはその光景に制止した。

「もう下りてきても大丈夫です」

ご協力ありがとうございました、とコウが紡いだ頃には、その場に立っているのは二人だけだった。





「桜の花びら…?」

下りてきたラビがそう小さく紡ぎ、足元に落ちていたそれに手を伸ばす。
それに気づいたコウが慌てて彼の行動を止めた。

「だ、駄目です!扇子の天よりすっぱり切れますよ!!」

珍しくも声を荒らげたコウに、ラビはピタリと動きを止める。
そして拾い上げようと伸ばしていた手を行き場なさ気に彷徨わせる。

「ただの花びらじゃねぇの?」
「あくまでイノセンスの能力ですから。あのアクマも貫通する切れ味ですから、触らないでください」
「…へ、へぇー…そんな危ないの、ここに放っておいていいわけ?」

ラビが口元を引きつらせると、コウは大丈夫ですと答える。
そして今まで開いたままだった桜花をパチンと閉じ合わせた。
途端に、足元を緋色に染めていた花びらが音もなく消え去る。

「発動を止めば自然に消えますから」
「便利な能力さ…」
「面白い事を言うんですね。イノセンスってそういうものでしょう?」

コウはクスクスと笑う。
その仕草は酷く大人びていて、ラビは本当に自分と同い年なのかと言う疑問を浮かべる。
だが、それよりも今しがた思い出した事柄の方が重要だった。

「イノセンス!!」

ラビの声に、コウはそう言えばと用件を思い出した。
今更だが、今回の任務はイノセンスの保護。
アクマの破壊が忙しくてすっかりと頭から抜け落ちてしまっていた。

「えっと…この先だっけ?」
「ええ。でも、大丈夫ですよ」
「?何が?」

ラビは歩き出そうとした足を彼女の声で止める。
そうすると、コウはスイッとラビを通り越した前を指した。
同じく視線を向けたラビの視界に映ったのは、黒。

「お帰りなさい、ヴォル。お疲れ様」

パタパタと一生懸命翼を羽ばたかせるヴォルティックを手の上で落ち着かせてやり、コウは労いの言葉を吐いた。
そうすると彼はまるでその身体で真っ二つに割れるのでは、と心配したくなるように分かれた。
いや、正確に言うと口を開いたのだ。

「先にヴォルティックに探してきてもらいました」

そう言って彼が吐き出したイノセンスを拾い上げ、ラビへと手渡す。

「…用意周到…」
「目的を違えれば本末転倒ですから」
「あー…ごめん」

アクマを全て片付けた今になってその存在を思い出したラビ。
彼はバツが悪そうに視線を彷徨わせ、その頬を掻いた。

「構いませんよ。補い合う為のパートナーですから。それに…私の倍相手をしてくれたんですから当然です」
「あれ?やっぱ気づいてた?」
「分かれ道で明らかに数の多い方に向かってくれていましたからね」

もちろん知っていました、とコウは語る。
さり気ない優しさだと思っていただけに、余計に頭の中に残っていた。

「ま、新人に無理させるほど馬鹿じゃねぇって事さ」

ラビはにこっとそう笑うと、頭の後ろで腕を組んで歩き出す。
任務が完了した今、この場に留まる理由などありはしなかった。
彼を追うようにしてコウが歩く。

漆黒のコートが闇の中に溶け込んでいった。

06.02.07