月明かりに照らされて
Destiny Side story

規則的な揺れを身体で感じながら、コウは自身の目を擦る。
まだ入団して二ヶ月と経たない彼女にとって、三日がかりの任務は中々辛いものだったようだ。
アズは彼女の膝に乗りながら気遣うようにぺろりとその頬を舐める。
だが、眠気にはどうにも勝てそうになかった。

「………眠い」
「寝たら容赦なく叩き起こすからな」

彼女の寝起きの悪さは重々承知している神田が即座にそう言ってのけた。










もう後数分も遅ければコウの瞼はきっちりと閉じられていただろう。
そんな状況下、コウとアズ、そして神田は寒空の駅に立っていた。

「何で下りるの?」

本部はもう一つ先だったはずだけど?とコウは外気に身体を震わせながら問う。
言葉と共に吐き出された息が白く濁った。

「ここからでも歩けない事はない」

そう言ってさっさと歩き出してしまう神田。
慌てて彼の後に続きながらコウは口を開いた。

「歩く必要はないんじゃないの?」

ふぁ…と欠伸を一つ零しながらコウは質問を重ねる。
そんな彼女を振り向き、神田はジロリと睨みつけた。

「お前が寝ないようにだろうが。何でクソ寒い中歩かなきゃなんねぇんだよ…っ」
「あぁ、なるほど。確かにこの寒さは眼が覚めるね」

今更気がついたのか、コウは納得したようにポンッと手を叩く。
先程から眼が冴えてきたように感じたのはそのおかげか、と。
月の見下ろす暗い夜道を歩く彼は、闇に溶け込みそうなほどに黒い。
その髪も、彼の纏うコートも。
かく言う自分の髪もこの暗さの中では闇色に見える。
外見としては神田にそっくりだ、などと考えてしまうと、自然と唇から笑いが零れた。
その声を聞きつけたのか、神田が街灯の下で振り向いて訝しげな視線を投げかける。

「何だよ?」

気色悪い、と後に続いていたが、それは思いのほか小さな物だったので聞こえなかったことにしておく。
コウは何でもない、と首を振ると彼の隣まで速度を速めて追いつく。
ふわりふわりと彼女から離れすぎない位置を飛んでいたアズだが、二人が並んだのをきっかけにコウの肩へと下りる。
白く柔らかい毛並みがコウのコートから覗く滑らかな首筋に流れた。
くすぐったそうに身を捩るも、次第に伝わってくるアズの体温が温かい事に気づく。
マフラーよろしくアズの尾を首に巻くように垂らした。

「……お前な…」

呆れた様な声が聞こえたかと思えば同時に溜め息が一つ。
アズで暖を取ろうとしていたその一部始終を見ていたらしい神田からのものだ。

「何?」
「人の暖を取るなよ」

彼の言葉にコウは首に巻きつくようにして身体を巻くアズを撫でる。
動かない首を何とか下に向け、彼に視線を合わして暫し沈黙した。

「アズは喜んでるみたいだけど…?」

どうやら彼と脳内で言葉を交わしていたらしく、コウはそんな返事をする。
そう言う問題じゃないと言うべく口を開く神田。
しかし、本人達が満足ならばそれで問題はないだろうと思いなおし、不完全燃焼のままに口を噤んだ。
不思議そうなコウの顔から視線を逸らし、動かす事を忘れていた足の動きを再開させる。
コウを置いていかないギリギリの速度で歩く彼に、ふっとその表情を緩めたのは他でもない彼女自身だった。













「ねぇ、ユウ?」

不意に、コウが彼を呼ぶ。
その声に反応して神田は隣へと視線を向けた。

「この空ってどこまで続いていると思う?」
「…少なくとも、俺達の言葉で測れる以上のところまで」

つまらないことを聞くなと突き放されるかと思っていた。
だが、返って来た答えは意外にも真剣で、コウは驚いたように彼を見る。
そんな視線に気づいたのか、神田は「何だよ?」と不満げな表情を浮かべた。

「ユウがそんな事を言うとは思わなくて…」
「答えが聞きたかったんじゃねぇのかよ、お前は」
「いや、そうなんだけど…。ま、答えてもらえるに越した事はないしね」

そう言ってコウは嬉しそうに微笑んだ。
そして、今度は空を仰いで紡ぐ。

「満天の星空、だね。この辺りは街灯も少ないから、星が綺麗に見える」

あの一際輝く星はどの星座だろうか…等とぼんやりと考えながらコウは歩く。
もちろんそんな事をしていれば足元は不安定となり…

「…そんなに地面と仲良くなりたいのか?」

子猫よろしくコートの首元を掴まれ、何とか顔面から地面に倒れこむ事だけは避けられた。
神田は器用にもアズを掴まないようにその下にある襟を掴んでいるのだ。
彼にありがとうとお礼を述べ、コウは苦笑を浮かべた。

「空を見上げるのが好きなんだ。特に、夜の…こんな満天の星空が」
「こんなの見てて楽しいか?」
「表情の変わる姿を見るのは楽しいよ。それに、これは絶対に変わらないものだから」

コウのその言葉に、神田は彼女の先程の質問の真意を悟る。

『空はどこまで続いているのか』

数ヶ月前まで彼女が存在していた世界との繋がりを探しているのだろう。
そして、絶対に変わらない…不変の物の存在を求めている。
自身を取り巻く環境が変わりすぎた所為で、そうしなければ自身を保てないのだろうと彼は思った。

「めんどくせぇ奴」
「?」
「前の世界で、お前は確かに生きていた。で、今はこの世界…この場所、この瞬間に生きてる。それだけじゃ不満か?」

眼が覚める、と言うのはこう言う事なのだろうか。
コウはその黒鳶の目を軽く瞠り、神田を凝視した。

「そっか…そうだよね」
「いつまでも悩んでる必要なんてないだろ」
「うん。今を生きている、それだけで十分だね」

そう言って笑う表情は酷く嬉しそうで、神田は己の口角が僅かに持ち上がるのを感じた。
尤も、それを表情に出すほどではなかったが。
足取り軽く少し前を走るその背中を目で追いながら彼は考える。

「…いつの間にこんな甘くなったんだかな…」

冷徹無慈悲とさえ言われた自分がこの様だ。
それでも彼女と言葉を交わすことを苦と感じない辺りはきっと――――
そんな事を考え、神田は己の思考を振り払うかのように首を揺らす。
溜め息と共にその全てを水に流し、彼は前を行く小さな背中を追った。





「ね、本部までどれくらいかかるんだっけ?」
「水路までが約二時間だな」
「………歩くの?」
「汽車を降りた時点で覚悟しろよ」
「…だね」



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06.01.29