―――愛している。
かつて夢にまで見たその言葉が、こんなにも苦しいなんて…知らなかった。
その言葉に感情が伴うなら、どれほど良かっただろう。
そうして彼の言葉を否定しつつも―――どこかで期待していた。
もしかしたら、本当に―――愛されているのかもしれない、と。
睡蓮
寝て、起きて。
身体の調子は変わらない。
朝食を取り、やってきた技術開発局の局員を招き入れて投げかけられる質問に答えて。
今日の所は、と去った局員を見送る事もせず、自室に引きこもった。
今の所、身体の不調はない。
あるのは、心の問題だけだ。
表向きには監視とされている白哉だが、隊を率いる彼が自邸に居続けることは出来ない。
朝早くに邸を出た彼が戻らないうちにと、誰にも告げることなく、静かに邸を出た。
目的地などなく向かった先に、覚えのある気配を感じる。
それは尸魂界にいる筈のない気配で、不思議に思いつつもそこへと向かった。
剥き出しの岩肌が続くそこで、大きめの岩に腰を下ろした一人の少女。
「…何をしているの?」
そう声をかけると、少女の背中が大袈裟に驚く。
長い髪を揺らして振り向いた少女は、数日前に現世に帰ったはずの旅禍の一人だ。
「あ…朽木さんのお姉さん!」
その言葉を聞いて、そう言えば、と思う。
お互い、言葉を交わすのはこれが初めてだ。
「初めまして…なのかしら。紅よ。ルキアと仲良くしてくれたそうね」
「井上織姫です!初めまして!」
「それに…あの時、傷を癒してくれたのはあなただと聞いたわ。ありがとう」
彼らが現世に帰る時、紅は見送りにいかなかった。
皆が隊を開けることは出来ず、彼らと深い関わりを持たない紅が残ったからだ。
その後、ルキアから傷を癒してくれたのが彼女だと聞き、礼の一つも言えなかったことを悔やんでいた。
こんな場所で会う事になるとは思ってもみなかったけれど。
「そんな…お礼を言われるようなことじゃないです!それに、お礼ならもう朽木さんやお兄さんから―――」
織姫の言葉に、紅は「え…?」と驚いたように顔を上げた。
「ルキアだけではなく…白哉様から?」
「は、はい。紅さんのこと、とても心配していたって黒崎くんから聞きました。
だから、助けられて良かったって思ってたんです。そうしたら、現世に帰る時に」
織姫の声を聞きながら、戸惑う心中を整理できない紅。
彼女を呼びとめ、礼を告げたと言う白哉の行動。
「私の、ために…」
それは、自分の身内に対する行為への感謝なのか。
それとも―――それ以上の意味を持っているのか。
昨夜の言葉を信じるならば、おそらくは後者なのだろう。
しかし、今の紅にはそうだと断言できるものがない。
「紅さん…何か、悩んでるんですか?」
「え?」
「すごく不安そう。朽木さんも、心配してました」
そう言ってまるで自分のことのように哀しげな顔をする織姫。
年端もいかない少女に心配される自分に、自嘲の笑みを零した。
「少し…信じられなくなっているだけ。大丈夫よ」
紅がそう答えると、織姫はうーん、と首をひねる。
それから、彼女は明るい笑顔でこう言った。
「そう言う時は、とりあえず信じてみるといいですよ!疑うより信じる方が、幸せになれると思うんです」
「幸せに…?」
「はい!だって…もし間違っていても、きっと、信じていた自分に胸を張れると思うから」
何でもない事のように言う彼女だが、それがどれほどの力を持っているのか―――きっと、気付いていないのだろう。
憑き物が落ちたような感覚。
紅は小さく笑い、そして近付いてくる気配に気付いた。
「姉様…!?」
驚きの声を上げるルキアの手には、2本の水筒があった。
この場に紅がいる事に、ただただ驚く彼女。
紅はそんなルキアに微笑み、そして問う。
「ねぇ、ルキア?」
「は、はい。何ですか?」
「白哉様は、倒れた私を見て―――」
どう伝えればいいのだろう。
言葉を詰まらせた紅に、事情が呑み込めていないにも関わらず、ルキアは懸命にその続きを考える。
自分の言葉が必要なのだと、察していた。
「とても激しく、怒りを露わにしていました。あんな風に感情を見せる兄様は…初めてでした」
そう答えたルキアに、紅はそう、と頷き、視線を落とす。
そんな彼女を見て、答えを間違えてしまったのだろうかと困惑するルキア。
「姉様。あの…」
「ルキア、ありがとう。それから…織姫さんも」
パッと顔を上げ、告げられた言葉と笑顔に声を遮られる。
それ以上何も言わせない空気の彼女に、ルキアは、いいえ、と首を振った。
ふらりと背を向けて歩き出す背中を見ていると、何故か呼び止めようと言う気分にならない。
その目に、確かな覚悟を見たからなのかもしれない。
「…井上、姉様と何の話をしていたのだ?」
「えっと…紅さん、何かに悩んでいるみたい。信じられなくなってるって」
「………私の答えが間違っていなければいいのだが…」
「…信じるしかないんじゃないかな、二人を」
たぶん、上手くいくと思うよ。
楽観的ともとれる言葉だが、不思議な事に織姫の表情に迷いはなかった。
「そうだな…」
その言葉に励まされ、既に見えなくなった背中を想う。
11.06.19