にわかには信じがたい光景が目の前にあった。
旅禍の少年は地に伏していて、その向こうには恋次の姿もある。
そして―――死んだはずの藍染が、ルキアを捕らえていた。
先程伝えられた事ではあるけれど、実際に目にするのとはわけが違う。
「君ならば、来ると思っていたよ」
「姉、様…」
ルキアの声が震えている。
紅が戦う理由なんて、それだけで十分だ。
睡蓮
「焔霞」
刀を抜き、名を紡ぐ。
解号は必要ない―――その為に血を吐くような努力をしてきたから。
刀から生まれた炎の蝶がゆらりと羽ばたき、抜き身の刀身に触れる。
触れたところから水が染み込むように広がり、白銀の刀身は炎を閉じ込めたように赤く染まった。
「君が来るかどうかは五分だと踏んでいた。朽木の命令に従うかもしれないと思っていたが…」
そんなにこの子が大切かい?
ルキアの首に付けられたそれをぐいと動かし、藍染が穏やかに笑う。
紅は何も答えず、足を引いて構えを取る。
その目に迷いがないことを悟り、藍染も笑みを消した。
「なるほど…どうやら、本気のようだね」
「僕が相手しましょか?」
「いや…構わない。手出しは無用だ」
そう言った彼は、市丸にルキアを手渡す。
そんな藍染の行動に僅かながらも疑問を抱いたのは、ほかならぬ市丸自身だった。
隊長格ですら、藍染の前では子供同然だ。
それなのに、四席の相手をするのに、何故ルキアを手放す必要があるのか。
市丸の疑問を読んだのか、藍染は薄く微笑む。
「焔霞、壱式」
スッと移動する藍染と、ルキアの腕を掴んで身を引いた市丸。
彼の間を驚くべき速度で赤い軌道が通り過ぎた。
真っ直ぐ伸びたそれが磔架を粉砕する。
炎を高圧縮した、レーザーようなものだ。
「彼女の実力は四席ではないよ」
藍染が刀を抜いた。
整わない呼吸のまま、ルキアはその光景を見ていた。
もちろん、紅が四席だという事は知っている。
けれど、まさか―――その実力が隊長格と同等であるとは思いもしなかった。
恋次や一護を一瞬で片付けるような相手に、紅は怯むこともなく挑んでいく。
何度目かの斬撃が、藍染の死覇装を焼いた。
「本当に…惜しい力だ。君が朽木と出会う前に、こちら側に引き込んでおけばよかったと後悔しているよ」
藍染がそう呟くけれど、やはり紅は何も答えない。
話すことなど何もない―――それを、行動を以って示している。
「残念だが―――障害となり得る君だけは、確実に沈めておこう」
静かにそう告げた藍染の目が、冷たい色を放つ。
もはや“優しい藍染隊長”など、微塵も感じさせない目だ。
そんな彼の目が紅以外へと動く。
その視線の先、そして行動の意味を悟った紅は、考えるよりも先に地を蹴った。
ガシャン、と赤い斬魄刀が地面に転がる。
それを追うように、バタタ、と血が落ちた―――ルキアの、目の前で。
「…っあ…」
「君は強い。だが…優しすぎる」
藍染の声すら遠かった。
目の前の紅の背中から、血に濡れた藍染の刀が生えている。
縦に突き立てたそれをぐっと横向きにして、そのまま斬り裂く。
「…!」
ルキアはその時になって漸く、自分が庇われたのだと理解した。
彼はルキアに刀を向け、飛び込んでくる紅をその刀で貫いたのだ。
傷は肺まで達しているらしく、呼吸すらままならない。
自身の作り出した血溜まりに伏す紅の唇が、微かに震えた。
―――ごめんなさい。
声にならぬそれを紡ぎ、彼女の意識は沈む。
「姉様ァッ!!!」
自由にならない身体が忌々しい。
噛み締めた唇が一筋の血を流した。
「くそっ…」
一連の出来事を、見ていることしか出来なかった一護。
彼自身、既に動ける状況にはなく、許されているのはただ拳を握ることだけ。
握り締めた拳も手の平を傷つけられるほどの力はなく、一層無力さを感じた。
―――…ルキアを…あの子を、助けてあげて…。
紅の切なる願いを紡ぐ声が頭から離れない。
すぐそこに居るのに、助けられない。
それを望んだ彼女も、今は血溜まりの中。
ここからではよく見えないけれど、状況を考えれば致命傷である事は明らかだ。
藍染の説明も右から左へと流れていく。
ルキアの身体から崩玉が取り出され、そして。
「殺せ、ギン」
市丸の刀が伸びる。
09.12.08