窓から、空で弾け飛んだ影を見つめる。
あのどれかに、彼がいるのだろうか。
ルキアに笑顔を与えてくれた、オレンジ色の髪の少年。
自分と居る時とは違う、同年代に向ける楽しげな表情を見せたルキア。
あんなルキアを見たのは、本当に久しぶり…いや、もしかすると、初めてなのかもしれない。
紅が彼女に出会った時には、彼女はすでに朽木の名前の重さに気付いてしまっていたから。
それでも、出来る限りと努力した紅のお蔭で、彼女は少しずつ笑顔を見せるようになった。
本当の姉のように慕ってくれるルキアを、紅もまた、本当の妹のように思っている。
ルキアにとって紅が救いであったように、紅にとっても彼女は救いだった。
胸の中に決して軽くないものを抱えている二人にとって、互いの存在は必要なものだったのだ。
始まりは傷の舐めあいだったのかもしれない。
けれど、今ではこの感情は偽りなきものであると、はっきりとそう断言できる。
睡蓮
まさかとは思ったけれど、本当に世界の垣根を越えてルキアを助けに来てくれた彼ら。
死神として、朽木家の一人としては有るまじき事だと理解しながらも…彼らに、感謝した。
「ルキア…」
格子の中で沈黙しているであろう彼女を思い、瞼を伏せる。
「紅。何をしている」
不意に、背中から声をかけられた紅は、ビクリと肩を揺らした。
振り向く彼女の視界に、冷静すぎる表情の白哉が映る。
「隊長…」
「何をしている、と聞いている」
「…申し訳ありません」
「旅禍が侵入したのは知っておろう。…行け」
白哉は紅の席次を過大評価はしない。
しかし、過小評価もしていない。
自らに課せられた使命を果たせと促す彼に、紅は己の心を殺す。
「失礼します」
ぺこりと頭を下げた彼女は、旅禍の一人が下りたであろう場所へと足を向けた。
瞬歩は使わず、ゆっくりと足を進める。
「紅」
再び、背中を呼び止められた。
「忘れるな。朽木家の者として、恥じることのないように行動しろ」
余計なことは考えず、ただ流れに従う。
それを求めている彼の言葉。
紅はその言葉に即座に是と返すことが出来なかった。
ぎゅっと拳を握り締め、そして声が震えないようにと努める。
「わかっています―――白哉様」
今の言葉が、六番隊四席の紅へと向けられたものでない事は明白。
静かに答えた彼女に、白哉は一度だけ頷いて踵を返す。
その背中を見つめていた彼女は、思わず口を開きそうになった。
ルキアを助けてくださいと―――そう言えたならば、何かが変わったのだろうか。
その独特の霊圧は、思ったよりも探るのが簡単だった。
そっと地下水道に身を落とし、目的の人物を待つ。
壁に背中を預けてただジッと。
懺罪宮に一番近い出口の近く。
中の構造を完全把握しているわけではないけれど、有効な出口は限られている。
地下水道に入ったならば、必ずここに出てくるはずだ。
どれほどの時間、そうしていたのだろうか。
やがて、紅の耳にかすかな足音が聞こえてくる。
お互いの姿が確認できるようになった所で、相手が自分の存在に気付いた。
「!あんたは…」
そう声を上げたのは、身丈ほどの大刀を持った死神。
見覚えのある姿に、やはり、と思った。
「朽木四席!?」
声の主を見るが、その姿に覚えはない。
荷物や霊圧の量から考えると、恐らくは四番隊の隊員だろう。
どんな理由で彼らと行動しているのかはわからないし、知るつもりもない。
「四席!?大層な追手が来やがったな!!」
少しの恐怖に口元を歪めた男。
死神でもなく、かといって一般人でもない彼には、知人の面影があった。
「…志波家の次男ね」
呟いた声が彼らに届くことはない。
ただ一人臨戦態勢を取った男を止めたのは、他でもない四番隊の隊員だった。
「止めて下さい!朽木四席は、ルキアさんのお姉さんです!!」
「姉ェ!?…つったってよ…ここに居るってことは…」
今しも懐に手を差し込みそうだった男は、四番隊員の言葉に戸惑いを露にする。
そんな二人を横目に一歩踏み出した一護が、漸く口を開いた。
「紅…っつったよな、あんた」
確認するように、そう告げる。
否定も肯定もしなければ、その沈黙を肯定と取ったらしい一護が更に問いかけた。
「あんたはどっち側なんだ?」
「―――…どっち、か。この状況で、それを問うのね」
「あぁ。ルキアを助けたいのか…それとも、殺すのか!?」
「馬鹿なことを言わないで!」
ここに来て、紅が初めて感情を露にした。
声を荒らげた彼女に呼応するように、霊圧が風となりザァ、と三人を襲う。
「誰が好き好んでルキアを殺すと言うの。
皆が…関わる全員が、全く心を痛めることなく彼女を牢に閉じ込めているとでも?あの人だって、本当は…」
ギリッと手を握り締める。
自分にとっては取るに足らぬものだ。
ルキアと比べるならば、迷いなく彼女を選ぶことが出来る。
けれど、白哉にとっての四大貴族の称号は、紅の感覚では図りきれないのだ。
彼の思いを知っているからこそ、本当の意味で彼を支えることが出来ない自分が悔しくてならない。
涙を殺すように唇を噛み締める姿を見てしまえば、一護は自分の失言を認めざるを得なかった。
「…悪い」
素直に謝罪を口にする彼に、紅はその視線を落とした。
短く息の塊を吐き出し、冷静を取り戻して顔を上げる。
「…私には出来ない。あの人を裏切ることも、その道を正すことも」
彼にこんな事を言うこと自体が、白哉に対する裏切りなのかもしれない。
けれど、それでも、望まずには居られないのだ。
「…ルキアを…あの子を、助けてあげて…」
姉様が居てくれたから―――彼女は、よくそう言って自分を気にかけてくれる。
その幸せすらも望んでくれる。
しかし…それは、自分の言葉だ。
ルキアが居てくれたから、笑っていられた。
「大切な、妹なの」
血の繋がらない、大切な。
一護は刀に手をかけるのをやめた。
「―――…通して…くれるか?」
その問いかけに、紅は無言で水路を挟んだ反対側の通路へと飛ぶ。
トン、と重力を感じさせぬ跳躍を見せた彼女は、振り向くことなく水路の奥へと消えていった。
「…どうなってんだ?」
「あいつは…ルキアが守りたいって言ってた姉だ。現世に来たくせに、ルキアの安全だけを確認して帰ってった」
「そんな…!きっと、命令違反です!」
「…だろうな。ルキアが心配してた」
紅が去って行った方を見つめながら、一護はそう言った。
そして、ギュッと拳を握る。
「紅さん…ルキアは、絶対助けるから」
呟いた決意を胸に、紅が譲ってくれた通路を歩き出す。
09.05.03