知らなかった、と言うのは理由になるだろうか。
全てが終わってから、初めて聞かされた内容に、紅は目を見開いた。
そして、もつれそうになる足を動かしてそこへと走る。
睡蓮
「ルキア…ッ」
二人を隔てる柵の前に膝を着いた紅。
そんな紅に気付いたルキアが、ぽつんと置かれた椅子に座ったまま振り向いた。
「姉様…」
「ルキア、あなた―――」
「姉様、ただいま…帰りました。こちらから挨拶に伺うことが出来ず、申し訳ありません」
そう言って諦めたように微笑むルキア。
その表情を見た紅は、哀しげに目を細めた。
「…お帰りなさい」
「…はい」
傍に来て、と言う言葉の代わりに、目で訴える。
紅の視線の意味を理解したルキアは、静かに柵の所まで来た。
「あなたを迎えに行ったのは、白哉様?」
そう問いかければ、ルキアは一度だけ頷く。
やはり、と思うと同時に、紅が口を開いた。
「ルキア。信じてあげて」
「姉様?」
「白哉様は、あなたをここに閉じ込める為に…罪を償わせる為だけに迎えに行った訳ではないわ。
結果としては、そうなのかもしれない。けれど、あの方を動かしたのは隊長の矜持だけではなかったはず」
信じて、と繰り返した紅に、ルキアは顔を俯かせた。
朽木家に引き取られ、白哉の義妹として過ごすようになり四十余年。
書類上の繋がり以上のものを感じられない時間は、彼女にとっては辛く苦しいものだった。
百年ほどの付き合いをしている紅には見えて、ルキアには見えないものもある。
ルキアには、紅の言葉は実感のあるものではなかった。
「…無理に理解して欲しいとは思わないわ。でも、知っておいて欲しかったの」
膝の上で拳を握るルキアの手に、自身の手を重ねる。
信じられないと言われても、無理はない。
基本的に、朽木白哉と言う人は、多くを語らない。
その数少ない言葉ですら、酷く形式染みていて、彼の心が見えてこないのだ。
「そろそろ行くわ」
「あ…はい」
「―――また会いに来るから…ね?」
今一度彼女の手をしっかりと握り、そしてその手を解いた。
時間をかけて解かれた手を見つめるルキアに視線を落としてから、紅は静かに立ち上がる。
何か声をかけようと思ったけれど、気の利いた言葉が浮かばず、結局唇を閉ざす。
ルキアはそんな彼女の心中を察し、彼女が心を痛めぬようにと、先に背を向けた。
ひとつだけ置かれた椅子に腰を下ろし、小さな窓から見える、切り取られた空を仰ぐ。
躊躇いながらも去っていく足音が、耳に辛い。
「姉様…申し訳ありません…」
気に掛けられれば掛けられるほど、申し訳ないと言う気持ちがこみ上げてくる。
彼女は、ルキアが一瞬でも帰りたくないと、心地良いと感じたことに気付いている。
白哉の命で現世へとルキアを探しに来た彼女は、ルキアを置いて尸魂界へと帰った。
「兄様からは…何も、咎められなかったのだろうか…」
ふと、思い出したことが心配になってきた。
もし、それが原因で二人の関係に亀裂でも入っていたならば、どうすればいいのか。
自分の想像に青褪めた所で、新たな来訪者が現れる。
振り向いたルキアの視界に映ったのは、旧知の間柄である阿散井だ。
その姿を捉えるなり、椅子を転がす勢いで立ち上がった彼女は、ぶつかるように柵の所まで走ってきた。
「恋次!」
「お、おぅ。何か元気になったな?」
朝とは打って変わった様子のルキアに、阿散井の方が戸惑う。
しかし、そんな彼の心中などお構い無しに、彼女は続けた。
「紅姉様と兄様の間に異変はないか!?」
「隊長と紅さん?何だよ、藪から棒に」
「私の所為で二人の間に亀裂でも入った日には、一体どうすればいいのだ!?」
「全然話が見えてこねぇよ」
落ち着け、と言われて、深呼吸を求められる。
興奮していても仕方がないと思ったのか、阿散井の言葉に従って深く息を吸い、そして吐いた。
「で、どう言うことだ?」
「姉様が私を探しに現世に来てくれたのは知っているだろう。姉様は私を連れ帰らなかった」
「…紅さん、そんな事を…」
「姉様は隊長である兄様の許可なく現世には来ない。兄様からの命に背いたということに…。
恋次!二人の様子はどうなのだ!?」
「どうって―――いや、いつも通りだろ」
二人の様子を思い出してみるが、これと言って変化はないと思う。
紅が何かしらの処分を受けた様子もなければ、二人の様子が変わっているわけでもない。
言うならば、いつも通りの関係だ。
それを伝えれば、ルキアは安心したようにその場に座り込んだ。
「そうか…良かった」
「…テメーは人の心配じゃなくて自分の心配でもしてろよ。死ぬかもしれねぇんだぞ」
「私の未来など案ずる必要はない。だが、姉様は…あの人は、いつか報われなければならないのだ」
哀しげに目を伏せる姿を、幾度となく目にしてきた。
自分がもう少し強ければ、兄である白哉に物申すことが出来ただろうか。
話を聞き、大丈夫だという彼女の心を案じることしか出来ない、弱い自分。
救われているのに、救うことが出来ない。
もどかしさで喉が焼け焦げてしまいそうだった。
「テメーが紅さんの心配をする必要がどこにあるんだよ?あの二人に心配の種なんてねーだろ」
わけがわからない、と言った様子の阿散井。
そんな彼を見上げ、これ見よがしに大きな溜め息を吐き出すルキア。
ピクリ、と彼のコメカミが揺れた。
「…大雑把なおぬしに繊細な紅姉様の心を悟って欲しいなど、露ほども考えておらぬ」
「テ、メェ…いい度胸だ。表に出やがれ!」
「ほぅ、この柵を越えて脱獄しろと言うのか?副隊長殿の言葉とも思えぬ愚見だな」
「~~~~っ」
柵を壊さんばかりに頭に血が上った阿散井は、怒声を聞きつけた隊員によって部屋から引きずり出された。
09.03.15