筆不精と言うわけではないけれど、特別に絆を深めようともしない。
そんな白哉からの手紙が届けられたのは、出会ってから数年後の事だった。
初めての手紙に心が躍らなかったと言ったら嘘になる。
しかし、初めての手紙に対し、心がざわめいたと言うのも、変えようのない事実だった。
睡蓮
どくん、と心臓が鼓動を打つ。
震える指先を叱咤して、結びを解いていく。
カサリ、と乾いた音を立て、手紙が開かれた。
「――――あ…」
言葉が出ない。
何とか零れ落ちた声も、とてもではないが、意味を持っているとは言い難かった。
綴られていたのは、一つの謝罪の言葉。
そして、別の女性を妻として迎えるという報告。
いつの日か、彼の隣に並ぶ日が来るのだと思っていた。
その日の為に切磋琢磨してきた自分が、今ここに居る。
四大貴族の一つである朽木家の当主であり、六番隊の隊長。
そんな彼の隣に並ぶに相応しい人間になれるようにと歩いてきた。
それなのに、辿ってきた道が一瞬にして崩れ去る。
自分と言うものを見失った。
あの手紙は、今も紅の部屋の引き出しの奥に存在する。
彼女の望んでいた場所を手に入れた今も、捨てる事が出来ずにいるそれ。
ふとその存在を思い出した紅は、白い指先でそれを拾い上げ、ゆっくりと開く。
同時に、タタタ、と軽やかな足音が近付いて来た。
「紅姉様!…姉様?」
「あぁ、ごめんなさい。お帰り、ルキア。どうかした?」
憂いを帯びた目で手紙を見下ろす紅に、ルキアは首を傾げた。
それが手紙であることはわかるのだが、内容までは見えない。
個人の手紙を盗み見るような真似はよくないと、必死の思いで視線を紅の顔へと固定するルキア。
好奇心に打ち勝つのは中々難しいものなのだ。
「姉様こそ、どうかされましたか?」
「…いいえ、少し…考え事を」
そう言って哀しげに笑う彼女に、ルキアはハッと気づく。
何度も見てきたこの表情。
彼女がこの表情を見せる時は、決まって―――
「兄様、ですか…」
確信めいた言葉は、最後に疑問符を残さなかった。
紅はルキアの言葉に驚いたように目を見開き、そして困ったように笑う。
「人が隠そうとしていることには、気付かない振りをしてくれないと」
困ってしまうでしょう?と言う紅。
自分の考えが間違っていなかったことは明らかだ。
「姉様は、いつもそんな表情をしています。私は…それが辛い」
「…私は辛くないわ」
嘘です、と続けたところで、紅は笑顔を崩さないだろう。
ルキアは自分自身を落ち着かせるように深呼吸をした。
「それより、どうしたの?」
声をかける紅に、ルキアは自分の用件を思い出す。
皺一つ残らないようにと丁寧に運んできたそれを彼女へと差し出した。
「姉様は非番だと聞いておりましたので、預かってきました」
折り畳んだ紙が、細い紐で結ばれている。
手紙だということは明らかで、あまりのタイミングに苦笑を浮かべた。
持っていた例の手紙を引き出しへと収め、それを閉める。
そして、ルキアの手から手紙を受け取った。
「どなたから?」
裏を返しても、署名などはない。
だが、品よく鼻腔を擽る香りには、覚えがあるような気がした。
まさか―――いや、そんな筈は―――
「兄様からです」
ルキアの言葉に、結び目を解こうとしていた指先が止まる。
確かに、覚えのあるこの香りは、彼のものだ。
記憶が正しければ、彼からの二通目の手紙。
一通目の件があるだけに、紅の心臓が嫌な音を立てる。
「姉様?顔色が優れないようですが…」
「…ごめんなさい、少し、睡眠時間が足りないのかもしれないわ。大丈夫」
そう答えてから、ゆっくりと結び目を解いていく。
紅の指先が震えていることに気付いていながらも、ルキアはその理由を尋ねることができない。
代わりに、思い出したように先ほどの事を話し出した。
「実は、初めは紅姉様への言付けを預かっただけだったのですが、恋次…阿散井殿が進言したのです。
偶には手紙にしてみては、と。無礼な奴ですが、偶には良い事を思いつくと思いませんか?」
「…そうね」
指先から紐が逃げていった。
自由になった手紙を開くまでに、更に時間をかける。
「私としては、兄様がその提案を受け入れたことが驚きなのですが」
調子が出てきたのか、嬉々とした様子で語るルキア。
そんな彼女の言葉は、殆どが右から左へと通り過ぎていく。
カサリ、とあの日と同じ音が耳に届いた。
ゆっくりと、彼の字が露になっていく。
「僭越ながら、私がその大役を任され―――姉様?」
ルキアが不自然に言葉を止めた。
驚いたように見つめる先には、手紙を見つめたまま動かない紅が居る。
その頬には、透明の雫が伝っていた。
「ね、姉様?どうしたのですか?まさか、兄様がまた何か…!」
慌てるルキアに、違うのだと首を振るのが精一杯だった。
胸をこみ上げるこの感情をどう表現すれば良いのか。
涙となって零れ落ちるそれは、様々な感情を持っている。
「…ルキア」
「は、はい!」
「隊舎に戻る時に、手紙を届けてくれる…?」
「もちろんです!」
何度か深呼吸をして、漸く涙を止めることに成功する。
目じりに残ったそれを指先で拭ってから、返事を書く準備をした。
殆ど時間を要することなく書き上げたそれを折りたたんで紐をかける。
「よろしくね」
少し赤らんだ目元のまま、紅はルキアに手紙を託した。
託されたその重みを感じつつ、ルキアは隊舎へと戻る前に六番隊へと向かう。
「お、ルキア!もう戻ってきたのか。どうだった?成功しただろ?」
「莫迦者!恋次の所為で…!」
「な、何で俺が責められるんだ?まさか、失敗だったのか?」
「…まだわからぬ。だが姉様は―――」
ルキアの言葉を遮るように、ルキア、と名を呼ぶ声がした。
落ち着いた声にビクリと肩を震わせる彼女。
「紅は受け取ったか」
「は、はい!返事を預かってきました!」
「そうか。ご苦労だった」
びしっとそれを差し出すルキアから手紙を受け取る。
それに目を通す白哉を見つめていた彼女だが、彼が手紙を畳んだ所で耐え切れなくなって口を開いた。
「兄様、あの…姉様に、どんな手紙を…?」
「少し早く帰ると伝えた」
「――――――はい?」
「何かあるのか?」
「い、いえ!何も…!!………え?姉様からの返事は?」
「わかったと記してあったが?」
何が言いたい、と怪訝そうな表情の白哉に、ルキアは納得のいかない心中を抑えて何でもないのだと告げる。
本当に、何でもない手紙の内容だ。
それならば、あの涙の理由は一体―――?
ルキアの疑問は、解決されぬまま置き去りにされた。
何でもない手紙こそ、紅が何よりも望んでいたものなのだということを、ルキアは知らない。
後日、恋次とルキアの元に、それぞれの好物が届けられた。
恋次には白哉から、ルキアには紅から贈られたものなのだが、当の本人たちはその意味がわからず首を傾げる。
「とりあえず…成功、したのか?」
「…ってことだろうな、多分」
08.11.10