逃げ水

世界は何も変わっていないのに、全てが変わってしまった。

「お身体の調子はどうですか?」

来訪者の穏やかな声に、庭先へと向けていた視線を動かす紅。
振り向いた先には、隊長羽織姿のままの卯ノ花がいた。

「…何も、変わらない。瀞霊廷も落ち着かない日々なのだから、私の事など気にする必要はないわ」

先の戦いで致死の怪我を負ったが、その傷は崩玉の力によって完全に癒えている。
四番隊を率いる彼女がわざわざ赴くほどの怪我は、紅にはない。
紅は、自分以上に卯ノ花を必要としている場所があるはずだと指摘する。
卯ノ花は彼女の言葉に沈黙し、それだけで彼女はその真意を悟った。

「…雪耶の者が無理を言ったんでしょうね」

権力に物を言わせて、卯ノ花を寄越したのだと言う事は想像するに容易い。

「私は変わらず、不変の時を送っているわ。…どうぞ、お引き取りを」

板の間に膝をつき、そう深々と頭を下げる。
そんな紅の様子に、卯ノ花は小さく息を吐いた。
死神として瀞霊廷で働いていた時とは、まるで人が変わってしまったようだと思う。
それが偽りの姿で、これが本来の姿なのだと…教えられた今でも、信じかねている。
それほどに、目の前の紅の目は、何かを望む事を諦めてしまっていたから。

「雪耶の方々は…随分と、強い力をお持ちのようですね」

彼女の心を溶かすには、何が必要なのだろうか。
他愛ない会話を選んだ卯ノ花に、紅はええ、と頷く。

「血脈に甘えた愚かな者達」
「血脈、とは?」
「………聞きたければ、と答えたものね」

紅はそう言って、脇に置いていた刀を取った。
卯ノ花は、彼女がすらりと鞘から抜く動作を見ても動じない。
紅の行動からは、殺意が感じられなかったからだ。

「斬魄刀の名は、月下竜王」

竜王は、かつて世界を支配していたと言われている。
それは、霊王も存在しない、遥か昔の事。
ただただ、物語のように語り継がれているそれは、決して夢物語ではなかった。

「遥か昔、雪耶の始祖が、竜王と契約を交わした。以降、雪耶は守り人として竜王に生かされる存在になった」
「生かされる…?」
「斬魄刀を受け継いだ者が死ぬ時は、竜王が相応しい器を決めた時だけ」

器に相応しいだけでは足りない。
始祖の血を受け継ぐ―――つまり、紅の子孫でなければ、力は引き継がれない。
そして、その力を引き継がない限り―――紅は、死を許されないのだ。

「だから、藍染は…」
「ええ。あの人が望もうと、望まざると―――私は不死。そして、私にはあの人が必要」

心から、生きていてほしいと望む。
だからこそ、紅の望みを叶える崩玉が、彼を生かし、彼は不死となった。

「この先、私が彼の死を望む事はないわ。ただ…永久に続く無為な時間を生きるだけ」

いつか、この命を失いたいと思う時は来るだろう。
けれどそれは、彼以外の誰かにこの身体を許すと言う事だ。
人の心は移ろい行くものだが、彼以外を受け入れる事はないと断言できる。

「彼を殺せない以上、彼らは投獄に処するでしょう。きっと、途方もない年月だろうけれど…待つわ」

時間は、いくらでもあるのだから。
卯ノ花は、そう答えた紅の横顔に確かな感情を見た。
全てを諦めた彼女が、それだけは諦めていない。
最早、この二人の事は他人が干渉できる領域ではないのだと悟った。

「この話は、総隊長は知っているわ。必要があるなら、他の隊長にも伝えてくれて構わない」
「…わかりました」
「雪耶の者が煩く言うようならば、私が許可したと言えばいい。彼らは私には逆らえない」

例え始祖の血を継いでいようと、彼らは“選ばれなかった者”だ。

「紅さん」

卯ノ花は最後に、と紅を呼んだ。

「藍染を、愛しているのですね?」
「…愛なんて言葉では足りない。彼は、私の世界の全てよ」

言葉に感情を乗せ、彼女はそう答えた。












「なぁ、ルキア。最後に一つ…頼まれてくれるか?」
「…何だ?」
「伝えてほしいんだ…あの人に」
「あの人…?」

怪訝そうな表情のルキアに、一護は「ほら、藍染の」と答える。
あぁ、と頷くルキア。

「私も容易に面会できる立場ではないが…内容次第だな」
「そうか、じゃあ…頼む」

少し言葉を選びながら、一護がその内容を告げた。
何となくルキアと目を合わせたままでは言いにくくて、逃がしていた視線。
最後まで紡ぎ終えた後の沈黙に耐えきれず、視線を動かした先には…驚いた様子のルキアがいた。

「ルキア?」
「それは…本当なのか!?」
「あ、あぁ…あの時は直後だったし、あんまり覚えてなかったんだが…時間が経って考えると…たぶん」

自分で言っておいて何だが、何て頼りない言葉だろうか。
一護は心中で苦笑した。
しかし、ルキアにとってはそうではなかったようだ。

「よく教えてくれた、一護!!兄様を頼ってでも、必ず紅殿に伝えると約束する…!!」

11.06.04