逃げ水

わかっていた。
彼らの行動に、意味などないのだと言う事は。
それなのに何故、彼ら死神は立ちはだかるのだろうか。



次々と倒れる破面。
彼らもまた、ひと時の栄華を生きたにすぎなかった。
護廷十三隊が総力をあげれば、彼らが太刀打ちできないと言う事は、何となく気付いていたのかもしれない。
そして、東仙が敗れた。
付き合いの長い同胞の最期に、紅はそっと瞼を伏せる。
短い黙祷に気付いた者はいない。
しかし、何かに気付いた紅がその場から消えた。





藍染だけを見ていたから、気付いたのだろう。
彼の背後に不穏な霊圧の流れを感じた。
咄嗟に空を蹴り、瞬歩で彼の背後に滑り込む。
空に亀裂を走らせて姿を見せたのは、若い旅禍の少年、一護。
彼は目の前で対峙した紅の存在に最大限の驚きを露わにした。
しかし、始めてしまった攻撃を取りやめることなどできない。
黒い斬撃が、彼女と藍染を包み込んだ。




「う、そ…だろ」

目の前で起こった出来事が信じられなかった。
あの斬撃は、一撃で片が付くようにと自分の全てで打ち込んだものだ。
それが、目の前で消えた。
刀で受け止め、そして相殺する。
言葉で説明するのは簡単だが、実際に出来るような攻撃ではなかったはずだ。
けれど、紅は、いとも簡単にそれをやってのけた。
藍染と背中を合わせたままの彼女は、刀を抜いた腕を垂らしたまま、一護を見つめている。

「ああ、何を驚いているのかと思えば…」

一護が藍染の真後ろを取った時点で、その場にいる誰もが、この戦いの終結を考えた。
けれど、その淡い期待が、一瞬で驚愕へと変化する。

「君たちは、彼女の本来の力を知らないんだね」

クスリと笑った藍染は身体を反転させ、背中から紅の頬に触れた。
彼女はそれを拒むこともなく、されるがままだ。

「私が彼女を連れる理由の一つは、彼女が強いからだ。それこそ、私が認めるほどにね」

藍染の言葉に、紅は肯定も否定もせず、僅かに目を細める。
それが答えだった。

「要もギンも、彼女には敵わないだろう。彼女に傷をつけられる隊長がどれほどいるか―――」

彼女の強さは剣術や鬼道ではない。
その身に巣食う、恐ろしいほどの霊圧だ。
それは時として、自己防衛として敵に牙を剥く。
そこに彼女の意思は必要ないのだ。

「だが、安心するといい。彼女は手を出さないよ―――もう、必要がないのだから」

藍染の手が、刀を握る紅の手に触れた。
声なき言葉を理解した彼女は、何も言わず刀を鞘に納める。
そして、ほんの少しだけ自らに触れる藍染の手を指先でなぞり―――その場から消えた。
刹那の間に、彼女は市丸の隣へと移動する。

「刀、抜くとは思わんかったわ」
「…ええ、私も」

自分が刀を抜くとは思わなかった。
彼女はまるで、他人事のようにそう呟く。
紅が消えたことにより、状況が動き出した。
次から次へと藍染一人に攻撃を仕掛ける十三隊、そして仮面の軍勢。
その一人一人が、地へと落ちていく。

「今更、後悔なんてできないから。自分が選んだ道を進むしかない」

その戦いの行く末を見つめる紅の横顔に、市丸は沈黙した。
確かに、彼女の目に後悔はない。
けれど、哀しげな色を浮かべている。





多くの者の屍を超えてきた。
最早、後戻りなどできないのだ。
そして、紅自身の感情もまた、戻ることなどできはしない。
紅に罪があるとすれば、それはきっと、藍染を愛してしまったことなのだろう。

「何も得ることなく平凡に生まれていれば…こんな未来はなかったのかしら」
「姫さん…」
「…あなたに話すべきことじゃなかったわね。忘れて」

ゆるく頭を振ってそう言うと、彼女はそれ以上何も言わず、戦いを見つめた。




多くを望んだわけではない。
ただ愛し、愛されて―――傍にいたかった。

10.10.07