逃げ水

「今すぐ助けに行くの。今すぐに」

紅はやや声を荒らげて白哉に詰め寄っていった。
彼女のこんな姿は滅多に見れるものではない。
しかし、彼は依然として冷静な表情を消していない。

「分かっているでしょう、白哉。あの子は他人じゃない。あなたの妹なのよ?」
「紅には関係のないことだ」
「…確かに、私には関係のないことだわ。でも、あなたはそうじゃない。
死刑にされようとしているルキアを助けられるのはあなたしかいないでしょう」

それが分からないの?と先ほどまでの勢いを消し、肩を落としたまま問いかける。
眉一つ動かすことのない白哉に、紅は表情を歪めた。

「自ら現世に迎えに行くほどにその身を案じていたのに、何故…何故、受け入れてしまうの?」
「――――――」
「緋真は救いようがなかったわ。あれは、彼女の寿命だった。だけど、ルキアは救えるのよ?」

手が届くところに居る。
家から圧力をかければ、彼女を救うことが出来るかもしれない。
当主である彼自ら働きかければ、何かが変わるかもしれない。
それなのに、彼は四十六室の判決を受け入れようとしている。
それが、紅にはもどかしかった。

「紅」

不意に、背後から声がした。
そちらを振り向けば、苦笑いを浮かべた藍染が居る。

「珍しく君の声が聞こえたと思って来てみれば…朽木を困らせてはいけないよ」
「惣右介さん…」
「彼女が困らせてしまったようだね。申し訳ない」

そう言いながら進み出た彼は、戸惑ったような表情を浮かべる紅を引き寄せる。
その肩を抱きながら、白哉に向き直った。

「これ以上、家のことに口出しは無用」
「あぁ、そうだね。でも…僕も、君の行動は解せないと思う。彼女は本当に死ぬべき人間かい?」

藍染の問いかけに、彼は何も答えなかった。
裾を翻して去っていく彼を見送る。
その場に残されたのは二人。






「…あまり、感情で動くのは褒められたことではない」
「……ごめんなさい…」
「君が私の不都合な方向へと動かないかが心配だよ」

先ほどまでの優しげな表情を消し、不敵な笑みを零す彼。
こんな風に、瀞霊廷の中で彼が素の自分を晒すことは珍しい。
周囲に他の死神が居ないことは確実なのだろう。

「……………あなたは、いったい何をしようとしているの…?」

紅はぎゅっと手を握ってそう問いかける。
ずっと、彼に聞きたいと思っていたのだ。
その行動の意味を。

「君が知るにはまだ早い。私のために動くのは構わないが、邪魔をしてはいけないよ」
「何があなたの為になり、何が邪魔になるのか分からないわ」
「それを悟るのも君の仕事だ。―――期待している」

そう言うと、彼は引き寄せた紅の頬に唇を落とす。
そして、彼女が何かを言う前に歩き出してしまった。
それを見送り、溜め息を零す紅。

「私が理解できると…確信しているの…?」

もしくは、紅が動いたことによる邪魔など、障害の内には入らないと言うことだろうか。
どちらにせよ、今回の行動は彼の望むものではなかったのだろう。
だから、途中で止めに入ってきた。
そうでなければ、彼が態々五番隊の執務室からここに来る理由はない。

「惣右介さん…ルキアを巻き込まないで…」

彼本人にそれを伝えられない自分。
いつから、自分はこんなにも弱くなってしまったのだろうか。
全てが彼の思うままであってほしいと―――そう、思ってしまう。
たとえ、それが誰かを苦しめるものであったとしても。
それでは駄目だと分かっているのに、彼をとめることは出来ない。

―――君が自由に過ごせる世界を作ろうか。

彼が優しく笑ってそう言ってくれたのは、いつのことだっただろうか。
もうはっきりと日付を思い出せないほどに遠い記憶。
自由な世界。
己を偽ることなく、その全てを晒して生きていくことの出来る世界のことだろう。
彼は、己を偽ると言うことが彼女自身の負担になっていると言うことを知っている。
大きすぎる力が周囲に与える影響を恐れることのない、自由な日常。
彼は、それを実現しようとしてくれているのだろうか。
恐らく紅のためだけ、と言うわけではない。
何かしらの理由があり、結果として彼女自身も救われると言うだけの話だろう。
それでも、紅は嬉しかった。
結果論だったとしても、彼が自分のために動いてくれていることが。







実現するためには、見捨てなければならないものもある。
紅はぎゅっと手を握り締めた。

「全ては惣右介さんのために」

そう呟く声に迷いはない。
いや、それを振り払うための言葉だったと言うほうが正しいだろう。
迷いそうになる自分を諌めるために、心の中で何度もそう呟いた。

08.04.06