逃げ水
「俺たちはあんたが席官だって事を認めないぜ」
堂々と本人にそれを言いに来る辺り、随分と真っ直ぐな男たちだと思う。
陰口ならば誰にでも言えることだけれど、本人にそれを言うのは誰もが避ける。
いっそ清々しいな、などと思いつつ、紅はにこりと微笑んだ。
「ええ、認めていただかなくても構いません」
通常の霊圧と言えば、それこそ末席にも劣る程度だ。
女の武器を使ったと噂されていることも知っている。
彼女からすれば、誰に対してそれを使うんだ、と問いたいところだが。
少なくとも、我らが十一番隊の隊長はそんな色欲に溺れるような人間ではない。
「…っ。現場でもあんたの指示を仰ぐつもりはない!」
「構いませんよ。私は基本的に現場での任務は本当に少ないし…問題はありませんから」
そろそろ相手にしているのが面倒になってきたのか、紅は手元の資料へと視線を落とす。
放置された男たちはカァァ、と顔中を赤くして、今にも湯気でも吐き出しそうな様子。
「この隊で女が出来ることなんざ何もねぇんだよ!」
ダァンと激しい音がして、彼女の前の机が吹き飛んだ。
彼女は一緒に散っていく書類を一瞥し、そして彼らを見る。
溜め息と共に、手元に握っていた報告書をその書類の波の上へと落とした。
「…分かりました。丁度五番隊の手が足りないと聞いていますし…今日一日、そちらの手伝いに行きます。
今日一日はご自分たちで満足の行くように十一番隊を動かしてください」
淡々と語る彼女に、男たちは何とか、おう、と返しただけだ。
そんな彼らを前にして、彼女は更に続けた。
「それで尚、十一番隊の皆様が私を必要ないと仰るならば、他の隊への異動を希望しましょう。それでよろしいですね?」
「あぁ、いいぜ!結果は分かりきってるけどな!」
「…ええ、そうですね。結果は………わかりきっています」
喜ぶ彼らに、紅は見えない位置で僅かに口角を持ち上げた。
「そう言う事か…。確かに君を要望していたけれど、十一番隊が手放すはずがないと思っていたけれどね」
クスクスと笑う藍染に、紅は形ばかりの礼をした。
お世話になります、と言うと、こちらこそ、と微笑む彼。
「大した霊圧を持たない私が四席にいることが邪魔でならないんでしょうね。実力主義ですから」
「君は、その低い霊圧を補って余りある技を持っているし、何より…。………彼らはそれにきづくかな?」
彼が紅の本当の実力を知らないなどと言うことはない。
けれど、あえてそう言わないのは、ここが五番隊の執務室だからだ。
珍しいわけではないけれど、目と言うか心に優しい二人の空気に、自然と視線がそこに集まっている。
「まぁ、五番隊は君を歓迎するよ。人手不足を補うには十分すぎる人材だ。しっかりやってくれ」
「ご希望に添えるよう頑張ります」
「じゃあ…雛森くん。彼女に任せられる仕事を渡してあげてくれるかな?
ついでに、他の皆も何か聞きたいことがあれば聞いておきなさい。彼女は死神歴も長く、とても博識だよ」
藍染がそう言い終えると、隊員が一斉に紅の元へと群がった。
あれはどうすれば、こんなことがあって、これの処理なのですが。
そんな風に、次々と投げかけられる質問に、彼女は一つ一つ丁寧に答えた。
その的確さは、質問した本人の溢れんばかりの礼の声を聞けば、十分に分かるだろう。
藍染は、そんな彼女を見てクスリと笑った。
「十一番隊は大変だね」
「隊長?」
「雛森くんも、彼女が五番隊に来てほしいと思っているのかい?」
「もちろんです!」
紅の仕事を集めてきたのだろう。
雛森の腕には多すぎるのでは、と思うほどの書類がある。
しかし、ここにいる誰も、その量が紅にとって多すぎるとは思わない。
それは、彼らが彼女の力量を知っているからだ。
「そうか…残念だけど、その望みは叶わないだろうね」
一日彼女がいなければどうなるのか―――火を見るよりも明らかな結果が出るだろう。
今日の十一番隊の様子を思い浮かべると、不思議と笑みが零れてくる。
そんな彼に、雛森が不思議そうに首を傾げた。
「楽しそうですね、隊長」
「そうかな?…さて…そろそろ仕事を始めようか」
そう言って彼が机に向き直る。
それを見て、雛森は未だ隊員に囲まれている紅に近づこうと一歩踏みだした。
「あ、雛森くん。今日はあまり十一番隊に近づかないように皆に言っておいてくれ。もちろん、君もだよ」
「?はーい」
意味はわかっていないようだったが、雛森は素直に頷いてから人だかりへと近づいていった。
「おい」
「あ、隊長!何っすか?」
「お前、昨日現世の魂送任務だったな?」
隊長に呼び止められたことが嬉しいのだろう。
厳つい顔にいくらかの笑みを浮かべた男を気にすることもなく、隊長、更木剣八はそう確認する。
「はい!ついでに邪魔しやがった虚の滅却もしてきたっす!」
「その報告書がまだ上がってきてねぇ。局の奴らがさっさとまわせっつって煩ぇんだよ」
さっさと渡せ、と手を差し出してくる彼に、男は首を傾げた。
「報告書?報告書って…何の奴っすか?」
「あん?現世任務にはつきもんだろうが」
何を寝ぼけたことを言ってやがる。馬鹿にしてんのか。
そう言った更木に、男はやや顔色を青くし始めた。
「いつもは雪耶がまとめて処理してるが…あいつは今日は五番隊に行ってるからな。テメェで処理するしかねぇだろうが」
彼の言葉を聞いて、男はいよいよ顔色を悪くした。
今まで一度たりとも報告書とやらを書いた覚えはない。
と言うことは―――
「隊長~」
「一角か、どうした」
「や、報告書ってどこに置いてあるんすかね?」
詰め所の中に入ってきた一角がそんな質問を投げかける。
もちろん、更木がそんなことを知るはずがない。
「弓親が知ってるんじゃねぇのか」
「僕は自分の分はちゃんと持っていますけど、人の分は知りませんよ。雪耶さんが管理していましたから」
「じゃあ、あいつの机だろ」
更木の言葉に合わせるように、全員の視線が彼女の机へと移動した。
執務室の中でいつまでも机を転がしておくわけには行かず、朝の男たちは彼女の机を元に戻してあった。
しかし、机の上に乗っていた紙の類は、全て屑篭の中に放り込んでしまっている。
綺麗に何も乗っていない机を見て、一角は溜め息を吐き出した。
「大体、俺は報告書なんざ書かねぇんだよ」
「確かに君の書いたものは全部再提出の印つきで局から返ってくるから、書きたくない気持ちはわかるけどね。
雪耶さんに任せきってるからそうなるんだよ」
「虚の特徴と能力さえ話せばちゃんとしたのを書き上げてくれるんだ。任せて何が悪い」
「…あれは特徴を話しているって言うより、君の自慢話だよ」
「いいじゃねぇか。あいつはどんな話だって笑って聞いてくれるんだからよ。あー…もういい。五番隊に行ってくる」
どうやら、面倒な工程を踏んで自分で書くよりも、彼女のところまで足を運んだ方が早いと思ったようだ。
すぐさま詰め所を出て行く一角に続くように、弓親もそこを離れていく。
それを見送ると、更木はガシガシと頭を掻いた。
「…っつーことだな。自分で何とかしろ」
元々何かをしてやるつもりなど更々なかったのだろう。
そう言うと、彼もまたその場を後にした。
残された男は、一人顔色青くその場に佇む。
一角と弓親の会話には覚えがありすぎた。
彼もまた、まるで自慢話のように彼女に色々と聞かせた覚えがある。
聞き上手な彼女の運びにより、自然と虚の特徴やら能力まで話していた様な気がする。
そして、彼女はそれを元に報告書を作成していたのだろう。
彼らと違うのは、そんな彼女の行動を知っていたか知らなかったか、だ。
今更に、彼女のいない一日の長さを感じた。
08.03.23