廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:一年と言う時間 --
今までとは違う環境に慣れるまでに、随分とかかってしまった。
そうは言っても、それは紅から見た感覚。
他の者から見た彼女は、まさか彼女が未来からやって来たとは思わせないほどに堂々としていた。
いつでも胸を張り、政宗に続いていく背中は、次第に足軽たちからも信頼されるようになっていったのである。
政宗直属の部隊長らは、すぐには彼女を受け入れなかった。
そこには様々な思惑も含まれていたのだろう。
何より、突然現れた小娘を筆頭が気にかけている―――部下としては、面白い話ではない。
少なからずそういった視線を向けられていたことにも気付いていた。
けれど、彼女はそんな彼らを言及する事はなかった。
寧ろあえて距離を取り、静観していた様にも思う。
彼女と部下の距離感は、他でもない政宗自身も感じ取っていた。
「…頼るつもりはないらしいな」
あいつらしい、と笑いを噛む。
そんな政宗に訝しげな視線を向ける小十郎。
「何かがあってからでは遅すぎると思いますが…」
「あいつがこの程度の波に飲まれるような女か?」
初めは一人で鍛錬していた彼女。
それに気付いた政宗は、それを手伝うでもなく、窓の近くに文机を引っ張ってきて作業をしていた。
朝早くから始まったそれが昼下がりまで続いた頃。
着飾るでもなく、袴姿で髪を一本に結い上げただけの彼女は、それでも人目を惹く。
鍛錬の途中で言葉を交わし、時折見せる笑みは戦に疲れた心を癒しているのだろうか。
いつの間にか、彼女の傍には多くの足軽がいた。
一端の足軽では相手など務まらない。
それを知っていながら、紅は求められるままに鍛錬に付き合っていた。
次から次へと申し込まれるそれを受け、全てに勝利しつつ汗を流す。
彼女の体力が衰え始めると、誰ともなく彼女を止め、休むべきだという声がかかっていた。
苦笑しつつそれを受け入れる彼女は、手拭いを首にかけて外に出て来る。
鍛錬場の熱気に当たっていたからだろうか。
外に出た彼女は、深呼吸をするように大きく伸びをしていた。
ぐぐっと伸びきったところで、漸く自分を見つめる視線に気付いたらしい。
慌てて姿勢を取り繕うも、先ほどまでの光景が消えるわけではない。
笑いをかみ殺している様子の政宗を見て、彼女は少し困ったように微笑んだ。
そして、草履を履いてこちらへと歩いてくる。
「いつからここに?」
「ついさっきからだ」
気にすんな、と手を振るも、彼女は信じてはいないようだ。
そう言えば、少し前にも似たようなやり取りをした覚えがある。
あの時は一部始終を見ておきながら少しと表現したことがばれ、暫くの間、拗ねた彼女を見ることが出来た。
普段は見ることの出来ない顔だから役得だった、と考えていると知られれば、また似たような状況になるだろう。
「お忙しいご様子ですね」
手元に積まれたそれを見た紅がそう言った。
苦笑を返す政宗を見て、彼女はふむ、と考える。
「私で良ければ、お手伝いさせてください」
「そりゃ、願ったりだが…面倒な作業だぞ?」
こう言った卓上の作業は好きではない。
身体を動かしたほうが早いと思うのが政宗と言う人だ。
もちろん、作業の重要性を認識しているからこそ、仕方なく文机の前に座っているわけだが。
彼の言葉に、紅はにこりと微笑んだ。
「文字はまだ不慣れですけれど、それでも随分と上達しました。それに、整理は得意ですから」
自信を持ってそう答えた彼女。
政宗は彼女の答えに満足そうに頷き、小十郎を振り向いた。
「小十郎、余ってる文机を持って来い」
「は」
「紅、お前はその間に風呂に入って来い。汗を流したいだろ?」
当然のことだが、汗を流してから…とお願いするつもりだった。
言うまでもなく理解してくれた彼の気遣いに感謝する。
失礼します、と頭を下げてから踵を返した彼女は、鍛錬場の近くにいた兵に声をかけてからそこを去った。
ふと、執務の合間に顔を上げた紅。
風通しの良い場所に置いた文机の上には、いくつかの紙が並ぶ。
顔を上げれば、鍛錬場が見える室の窓際。
換気の為に開け放たれた入り口からは、鍛錬する様子がよく見えた。
その中でも、一際目を引き、紅の視線を絡めとって離さない人。
ダァン、と激しい音がここまで聞こえてきた。
入り口の扉が飛んで、それを追うように一人の兵が木の葉のように舞う。
怪我をしたかもしれないなぁ、と思いながらそれを見送る紅。
入り口に、政宗の姿が近づいた。
「もうちょっと防御を鍛えろよ」
木刀でトントンと肩を叩きながら、呆れた風に助言する彼。
彼は、襷で手繰った袖で頬に伝う汗を拭いながら、休憩だ、と告げて、入り口の草履を履いて庭を歩いてきた。
その途中で、紅の視線に気付いたのか、彼と目が合う。
進路が紅の方へと変更され、程なくして彼女の元まで辿り着く彼。
「“いつからここにいたんだ?”」
そう問いかけられ紅は、おや、と首を傾げた。
何だか既視感を覚えたのだ。
そんな彼女を見て、政宗はニッと口角を持ち上げる。
彼は、その理由がわかっているようだ。
その表情を見ていて、紅も漸くそれを思い出した。
「何だか、懐かしいやり取りですね」
「そうだな。丁度、お前と会って…一年目の会話だ」
逆だったけどな、と笑う彼。
「と言う事は…今日から、丁度五年前ですか。政宗様もよく覚えていますね」
「お前も、だろ?」
そう答えた彼は、腕を伸ばして文机の上の紙を一枚攫っていく。
それに目を通すと、ん?と首を傾げた。
「これは急ぎじゃないだろ」
「えぇ。手が空いてしまったので、片付けていただけです」
「俺が代わりにやるから、置いとけよ」
「だって…暇なんです。鍛錬場には入れてくれませんよね?」
ご機嫌を窺うように下から見上げると、彼は呆れたように溜め息を吐き出した。
そして、彼の腕が伸びてきて―――こつん、と紅の額を叩く。
「身重の身体に無茶させるな。何かあったらどうすんだ」
「…ですよね」
「俺たちの子に限ってそんな柔だとは思わねぇけどな。暫くは我慢しろ。生まれれば、また好きにすればいい」
「わかっています。ただ…身体が鈍りそうなので、言ってみただけですから」
そう言って頭を撫でられる感触に目を細める彼女。
静かに頷く彼女を見て、政宗はよし、と笑った。
「久しぶりに、茶でも飲みながら碁を打つか」
紅は、待ってろよ、と言い残して風呂の方へと向かう彼を見送り、クスリと笑う。
「ありがとうございます、政宗様」
暇だと言った自分に付き合ってくれるらしい。
彼の姿が見えなくなると、紅は大きくなったお腹に手を当てながら、先ほどのことを思い出した。
もう、五年になるのか。
「…早いものね…」
見つめた庭先で、枯れ始めた葉がカラリと音を立てた。
09.06.27