廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:Babyシリーズ --
同じ布団の中に別の人がいると言う状況も、随分と慣れた。
お蔭で、もし政宗が自分を殺そうとしたとしても、きっと目を覚ますことは出来ないだろう。
もちろんそれは物の例えで、彼がそんなことをする筈がないとわかっているからそれだけ安心できる。
寝所を共にするようになってどれくらいの月日が流れたのか―――
事が起こったのは、そんな何でもない日の朝だった。
先に目を覚ましたのは、珍しく紅の方だった。
いつもは政宗の方が早く起き、彼女が自然に起きるまでその髪を撫でたりと時間を過ごすことが多い。
長い時間ではないけれど、彼がとても気に入っている穏やかな時間だ。
ふと目を覚ました紅は、彼がまだ眠っていると言う事実に軽く目を見開く。
それから、起こさないように気を配りつつ、少しだけ距離を取ろうとする。
だが、背中に回った彼の腕がそれを許さない。
決して強い拘束力ではないのだが、それを解くだけの意思は彼女にはなかった。
軽く苦笑を浮かべ、少し見辛いけれど、その寝顔を堪能しようとする。
しかし―――
「…っひぁっ!!」
腹の辺りで何かが動く感覚に、思わず変な声が零れた。
途端に今まで眠っていたとは思えない程に即座に身体を起こす政宗。
彼女の腕を掴む彼と、掴まれた彼女。
互いに状況が読めず、一時不思議な沈黙がその場を支配した。
「…どうした?」
とりあえず、状況を把握しようと政宗がそう尋ねる。
「どうしたも何も…政宗様がくすぐるからでしょう!」
寝たふりをするなんて、と声を上げて答える彼女。
ますます両者の意見の間に温度差が生じ、疑問だけが積み重ねられていく。
「…とりあえず、もう一度聞く。どうした」
「………突然お腹を撫でられたから、くすぐったくて声を上げただけですが…」
そこまで話して、彼女自身もその言葉の違和感に気付いた。
両腕でしっかりと抱きしめてくれている彼の腕に、余りはない。
その状態で、況してや眠っていた彼に自分の腹が撫でられるものか。
そう言えば、先ほどからお腹の上辺りに妙な圧迫感がある。
「…………………」
「…………………」
両者の間に沈黙が落ちる。
数秒の無言を過ごし、政宗が布団に手を伸ばして勢いよくそれを引き剥がした。
「…………………」
「…………………」
「…………………ガキ?」
「…………………って言うか、まだ赤ちゃんですね」
紅の腹の辺りにへばりつく様にして、我関せずとばかりに安眠を貪るそれ。
思わず表情を緩めてしまう紅とは裏腹に、政宗は訳がわからないと眉間に皺を寄せた。
「どっから来たんだ?」
きっちりと閉じられている襖を開くことは、この赤ん坊には少々難しい…と言うか、無理だ。
況してや、自分たちが気付かないはずがない。
状況が飲み込めず、眉間の皺を消せずにいる彼。
そんな彼の傍らで、紅は赤ん坊に手を伸ばした。
「育てたことはないのでわかりませんけれど…1歳くらいでしょうか」
きゅっと握られた着物を解かせ、両腕で抱き上げる。
少し重いけれど、まだまだ十分に抱きかかえられる重さだ。
慣れない手つきなのは、育児を経験していないのだから仕方がない。
「あんまり無用心に抱き上げるなよ」
「いくらなんでも、刺客だって赤ん坊には化けられませんよ」
そう言って苦笑を浮かべていると、突然赤ん坊が覚醒する。
パチッと開いた目の奥から深い茶色の瞳が姿を見せた。
「あ、起きましたね」
少し声のトーンを落としてそう呟く。
きょろきょろと目だけを動かして周囲を確認する赤ん坊。
そして、赤ん坊は紅の姿をしっかりと捉えた。
目が合ったことに気付いた彼女は、にこりと微笑んでみせる。
「…あー…」
どうやらまだ言葉は話せないらしい。
しかし、懸命に両手を伸ばして何かを訴えようとする赤ん坊。
紅は抱く手を片方にして、空いた手を赤ん坊に差し出した。
満足げに親指と薬指が握られる。
赤ん坊は途端に安心したようにふにゃりと笑う。
「………っ」
「…どうした」
「…か、可愛いっ…」
息を呑んで顔を背ける彼女に、政宗の声がかかる。
堪えきれない様子で、紅が何とかそう答えた。
驚かせてはならないと、必死になって声を抑える彼女に、政宗は「そうか」と肩を落とす。
とりあえず、刺客の可能性は考えられないし、彼女はとても喜んでいるし…。
状況がわかるまでは紅に預けておいても問題はないだろうと把握する。
「(それにしても…)」
声に出さず、政宗は紅を見た。
片腕で赤ん坊を抱くのも慣れてきた様子の彼女は、片手で赤ん坊をあやしている。
時折にっこりと微笑み、それ以外の時も柔らかい表情を浮かべている彼女。
そこに母性本能のようなものを垣間見た政宗は、ふむ、と胡坐をかいた膝の上に肘をつく。
「(…悪くねぇな)」
紅は楽しそうだし嬉しそうだし、何よりいつもより可愛いと言うか…綺麗に見える。
赤ん坊との触れ合いがそう見せているのは、明らかだ。
あー、うー、と反応を返してくるのが嬉しいらしく、抱きしめたくてうずうずしている様子の彼女。
慣れない事をしてはいけないという、なけなしの自制心が働き、それをとめているのだろう。
生真面目なことだなと思いつつも、彼の表情も柔らかい。
「―――政宗様、お目覚めですか?」
不意に、襖の向こうから小十郎の声が聞こえた。
ちょうどいい、と政宗は顔を上げて襖の方に声を返す。
「小十郎か。黙って中に入れ」
んで、閉めろ。
そう命じられ、少しの躊躇いの時間を置いて、小十郎が部屋の中へと入ってきた。
何かあると感じたのだろう。
襖を閉めた後は、畳に座して姿勢を正し、二人の方を向いた―――ところで、彼の表情が固まる。
「…っつーことだ。とりあえず、乳母がいる」
「………政宗様、紅様。そう言うことは早めに教えていただかなくては困ります」
「おいおい。紅がこの体形を維持して十月十日もこいつを腹ん中に抱えてたってのか」
無理ありすぎだ、と苦笑いを浮かべる政宗。
じゃあ誰の子供ですか、そう言って詰め寄られた彼が状況を説明する。
いつも思うことなのだが、小十郎には弱いなぁ、と紅はクスクスと笑った。
彼女が笑うのに合わせ、腕の中の赤ん坊が「あぅー」と声を上げる。
「…君は目元が政宗様みたいね。きっと、いい男になるわ」
そう言って小さく微笑み、その目元を指先でなぞる。
そして、赤ん坊の額に軽く口付けを落とした。
ちゅ、と言う小さなリップ音と共に唇が離れるのとほぼ同時に、一瞬にして腕の中の重みが消える。
「―――あ」
思わず小さく声を上げてしまい、二人の視線が紅へと集まった。
同時に、その場に沈黙が下りる。
「…どこ行った?」
「…さぁ。三人揃って狐にでも化かされたみたいですね」
「……………来る時も突然なら、消える時も突然だな」
政宗はそう言って立ち上がると、緩んでいたらしい帯を締めなおしつつ部屋を出て行く。
彼の背中を見送り、小十郎と紅は顔を見合わせた。
「…今日の政宗様は随分と機嫌がよろしいようで」
「…ですね」
二人して首を傾げる。
その理由を知っているのは政宗本人だけなのだろう。
そして、小十郎は思い出したように彼を追う。
一人部屋の中に残った紅は、自分の腕を見下ろした。
「夢…じゃないと思うんだけどな…」
確かに感じていたあの重みは本物だった。
何だったんだろう、と言う疑問が頭を過ぎるけれど、どこか追及しようとしていない自分に気付く。
これは、謎のままで残しておいていいような気がした。
ふっと小さく笑みを浮かべると、窓の方へと近づいて障子を開く。
「…今日もいい天気」
頬をなぞる風を感じながら、紅は目を閉じた。
これが、何でもない日の不思議な朝の出来事―――
08.04.29