廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:Good morning --
鳥のさえずりが耳に届く。
優しい日差しに包まれて、その意識は覚醒していった。
まだ眠りたいと瞼が覚醒を拒む。
頭は起きなければと思っていて、心と身体が葛藤する。
無理やりに抑え込んだのは、頭の方だった。
ゆっくりと少し時間をかけて瞼を押し開く。
一度開いた目は、先ほどまで閉ざされていたお蔭で視界が悪い。
二度、三度。
ぱちぱちと瞬きをすると、漸く視力が回復した。
見えるのは天井でも襖でもない。
しかし、紅にとってはそれがいつもの光景だった。
「…珍しい」
いつもの光景であることに変わりはなかったが、少し違っている箇所があった。
それは、その光景を作り出している一人、政宗が眠っていると言う事。
彼は紅よりも早くに起きる事が多く、彼女が目覚めた時にはいつも優しい表情で見下ろしている。
起きたか、と低い声で囁かれるのが好きだった。
そんな彼が、今日は珍しく起きていないようだ。
起こさないようにと気を配りつつ、彼の腕の中で動く。
そう言ってもしっかりと背中に回された片腕から逃れる事はできない。
ほんの少しだけ二人の間に隙間が出来て、彼の顔を見上げる事ができるようになった程度だ。
しかし、紅にとってはそれで十分。
時に優しく、時に強く。
彼の意思そのものを映し出す眼は、瞼の向こうに隠れてしまっている。
いつもは眼帯により隠されている右目も同じ事だ。
彼は光を映さぬ右の目を見せる事を嫌う。
いや、実際に嫌っているのかは分からないのだが、眠る時以外はずっと眼帯の奥に隠している。
それを見る事が出来るのは自分だけ―――そう思うと、どうしようもなく愛おしい。
見下ろしてくれる目がない事は少しだけ寂しいと思ったけれど、こんな風に彼の寝顔を見る機会は少ない。
数少ない機会を大事にしようと、紅は唇を結んで彼を見つめた。
「(…綺麗な顔立ちねぇ…)」
これ以上ないと言う位に惚れこんでいるのだが、新たな一面を垣間見ると即座にその臨界点を突破してしまう。
1分後には別の表情を知り、彼への想いが深まる。
こんな風に、溺れるような恋を出来るとは思っていなかった。
無防備な表情にはあどけなさも垣間見えている。
奥州の筆頭として生きる彼も、まだ20を少し超えた程度だ。
この時代で言えば十分に大人として扱われるのだが、現代では世間的には幼い。
同じ20代と比較しても、その肩に圧し掛かる重圧は比べ物にならないだろう。
「(…随分と疲れているのね)」
先ほどの声で起きなかったのがその証拠だろう。
よく見ると、目元に薄く隈が入っている。
領地内でちょっとした問題が起こっていて、それに頭を悩ませている事は知っていた。
そして、それが時間以外に解決する術がないことも。
待つしかないと言う事実が彼を悩ませている。
この所夜遅くまで他に術がないのかと模索している姿を見てきた。
最後まで付き合おうと隣に並ぶ紅に、彼はいつも苦笑交じりに「先に休め」と言う。
もちろん、紅とて一度は首を振った。
「お前に任せている仕事があるだろう?お前が優先するのはそっちだ」
全てを半分ずつ背負わせようとは思っていない。
彼は、紅の頭を撫でながらそう言った。
役に立たないと言っているのではなく、紅を信じて任せている仕事をこなしてほしい。
その言葉の意味は、そう言う事だった。
彼にそこまで言わせて、それ以上駄々を捏ねるのはただの我侭だ。
納得できないと嫌がる自分自身の意識の一部を隅へと追いやり、頷く。
そんな夜は、もう3日も続いている。
「(…今日明日で解決するって話だけれど…大丈夫なのかしら)」
そんな事を考えた所で、紅は近づいてくる気配を感じた。
それは小十郎のようだ。
基本的に、寝所に誰かが近づいてくると言う事はまずない。
にも関わらず近づいてきていると言う事は―――何か伝えなければならない火急の用件があるということだ。
紅は少しだけ悩んで、それから、小さく身動ぎした。
身体の上を跨ぐようにして背中に回されている政宗の腕をすり抜ける。
そうしてかなり時間をかけて布団を抜け出すと、紅は身なりを整えた。
動いて起こしてしまっただろうかと思ったけれど、どうやらその心配はないらしい。
相変わらず眠りの深い彼を見下ろして、小さく笑みを零す。
それから、近づいてくる小十郎の方へと自らも歩き出した。
襖を開いて廊下へと出ると、丁度角を曲がってきた彼が紅に気付く。
「紅様。おはようございます」
「おはようございます。政宗様ですか?」
「は。例の件が無事に解決しましたので、そのご報告を」
そう言った小十郎に、紅はよかった、と安堵の声を零す。
小十郎は政宗自身に報告すべきと思ったのか、彼女に入室の許可を求めてきた。
しかし、紅は首を横に振った。
「報告は後でもいいでしょう?政宗様は随分とお疲れのようだから、このまま休んでいただくわ」
「…まだ眠っておいでですか?」
彼の問いに、紅は「ええ」と答える。
すると、小十郎は驚いたように目を見開き、それから今度は嬉しそうに微笑んだ。
「政宗様が人の傍でそこまで熟睡されるとは…紅様の存在は大きいと見える」
「え?」
「…いえ。本日の予定は午後からに変更しておきましょう」
では、と言い残し、小十郎が去っていく。
止める間もなく立ち去る彼はすぐに見えなくなった。
ふぅ、と息を吐き出して部屋の中に戻る。
足音と気配を忍ばせて布団の方へと近づき、その傍らに腰を下ろした。
「―――…お疲れ様でした」
そう言って小さく微笑み、紅は腰を屈めた。
やや横向きの姿勢で眠っている政宗の額に唇を寄せる。
そっと触れるだけの口づけをして、すぐに離れる筈だった。
だが、予定とは違い、そう強くはない力で布団の中へと引きずり込まれる。
「寝込みを襲うとは…随分と積極的じゃねぇか」
「…起きておられたのですか?」
真上から見下ろされる形となった紅は、その頬を朱色に染めつつ少しだけ唇を尖らせる。
気付かなかった自分も悪いのだろうけれど、眠った振りをする方もする方だ。
政宗は紅の反応に口角を持ち上げ、彼女の唇を自身のそれで掠める。
「小十郎はどうした?」
「例の件の報告です」
「…片付いたか」
はい、と答えれば、彼は紅の上から退いた。
そして、その隣にごろりと仰向けに寝転がる。
漸く彼の肩の荷が下りたようだ。
「今日の予定は全て午後に変更していただきました。今は身体を休めてください」
「そうだな…」
身体を休めるべきだと言う事は、彼自身もよくわかっているのだろう。
事の外あっさりと頷いてくれた彼に、紅は満足げに微笑んだ。
そして、邪魔をしないようにと寝所を後にしようと身体を起こす。
しかし、その動きは伸びてきた腕によって止められた。
そのまま腕の中に引きずり込まれ、目を覚ました時と同じように抱き枕のように抱えられる。
「―――…寝る」
「や、あの…」
私は疲れていないんですが。
そんな声を飲み込み、苦笑を浮かべる紅。
まったく…と呟きながらも、満更ではない様子だ。
自分が楽な姿勢になるようにと何度か身体を動かし、落ち着いたところでその胸元に額を寄せる。
偶にはこんな風にのんびりと過ごすのも悪くはないだろう。
こうして、彼らの一日は始まりを告げる。
08.03.31